<この体験記を書いた人>
ペンネーム:茉莉花
性別:女
年齢:52
プロフィール:アラフィフのシングルマザーです。3人の子どもがいます。
6年たっても、いまだにはらわたが煮えくり返るほどムカつく話を聞いてください。
当時、私たちアラフォー夫婦(今は離婚済み)は、子どもたちと義実家近くに住んでいました。
当時一番上の子どもは思春期で、いろいろとやりにくいお年頃の中学生でした。
長子を出産後、夫はそれまでの会社勤めから自営業へ転職、自宅の一室で仕事を始めていました。
自営になるなんて話は寝耳に水、義父母(2人とも70代前半)には転職のことを相談していたようでしたが、私にありませんでした。
不信感でいっぱいでした。
「自営だと仕事の時間は自分で決められる。頼まれればいつでも家事や育児ができる。お前もその方が助かるよね?(当時私はフルタイム勤務)」
当時、フルタイム勤務だった私に対する、これが夫の言い分です。
まるで私のために転職したようなふうにも取れますが、子どもが生まれても朝起きるのは決まって9時過ぎ。
「頼まれれば何でもするよ。ただし、自分のタイミングでするから」
家事育児に関してそんなことを言っていたのに、オムツ替えなど頼むと必ず「今は手が離せない」と返されていました。
夫の協力はすっぱりあきらめて、子育てはずっとワンオペでやりました。
貯金もなかったので、生活収入確保のため、私は1年間とるはずだった育休を7カ月で切り上げ仕事復帰。
仕事と育児で疲労感が抜けないまま月日はたち、3人目を生んだ後からは、夫婦生活を含んだ夫の要求に全く応えられなくなりました。
会話と言えば口喧嘩という感じで、会話すら成立していませんでした。
私や子どもの頼み事はほぼ無視、それなのに自分の要求だけを押し通してくる夫に対し怒りしかなかったのですが、子どものためにと、離婚は避けようと思っていました。
やがて夫は、私が要求をのまないと「離婚する!」と捨て台詞を言うようになりました。
そして同時期から、夫自身が毛嫌いしていた義実家に、子どもたちを連れて遊びに行くことが増えました。
おかしいなと思いましたが、どうやら、行くたびに実家で私の悪口を両親に吹き込んでいたようなんです。
今思うと、両親を味方につけて、離婚を有利に運びたいというような思惑があったのかもしれません。
そんな状況が続いたある日、義父母から子どもたちを連れて義実家へ来るように言われました。
すでに離婚へのお膳立てがあったとは露知らずな私。
渋々行くと、そこで義母の一方的な私への暴言大会が始まりました。
「息子があなたと離婚したいと言ってる。子どもたちは私たちで世話するから、あなたは出て行きなさい!」
「息子から聞いたけど、あなたご飯を作らないんだって? 毎日買ってきたお惣菜ばかり食べさせられてるそうね!」
「掃除も洗濯も息子がやらされてるって、あなたは何のためにいるの?」
などなど矢継ぎ早にまくしたてられ、極めつけのこの言葉です。
「あなた、子どもはいらないって言ってたそうね。何で作ったの!? 子どもたちが不憫! いらないなら女の方が体温管理とかして避妊するべきでしょう?」
お義母さま、支離滅裂で何かすごいこと言ってますが...。
「ゴムアレルギーだからとか何とか適当なこと言って、避妊に協力しなかったのはお宅の息子さんですけど!」
私は喉元まで出かかっていた言葉を必死で飲み込みました。
多感な年頃の娘が、完全に固まっていたのが見えたからです。
孫の前でこれはないとあきれてしまいました。
あまりの息子贔屓に吐き気がしました。
義母の最後の捨て台詞は、「二度とこの家の敷居をまたがないでちょうだい!」でした。
おっしゃる通り、その後離婚して二度と敷居をまたいでいません。
事実を知っていた子どもたちはもちろん、私と今でも住んでいます。
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