<この体験記を書いた人>
ペンネーム:しらたま
性別:女
年齢:47
プロフィール:今年の夏も、おうちかき氷屋さんを満喫しました。秋冬も季節ならではの美味しいものを食べるのが楽しみです。
私は46歳、一つ年下の夫と10代の娘との3人暮らしです。
今回は、25年近く前に私が会社に入社したときに、指導係だった同僚Aさんのお話です。
同僚Aさんは、当時40代後半の女性。
身長が高く、体格がよい人でした。
はっきりした顔立ちにしっかりフルメイクのAさん。
初めて会ったときには、高圧的な印象の人だなと感じたのをよく覚えています。
Aさんは仕事はできるけれど物事を強引に進めるタイプで、何かとトラブルになりやすいタイプの人でした。
周囲の人に対しての好き嫌いが激しく、アルバイトの子たちも自分の好みでひいきして、不満が出たこともありました。
しかし、Aさんにはある種の魅力があるのも確かで、慕っている人もいたようです。
入社直後だった私は、Aさんから仕事を教えてもらう日々。
しかし、パワハラめいたAさんの言動により、ストレスで過呼吸になったこともあったくらいです。
ある朝のこと、出勤するために電車に乗っていたときに突然、私は過呼吸状態に。
そんなこと初めての経験で驚いてしまい、次の停車駅で下車して、駅員さんに助けを求めました。
その駅から近い病院で診察を受け、軽いパニック症候群だと診断されました。
Aさんの言動によって大きなストレスを感じていたのだと、自分で改めて感じた瞬間でした。
私だけでなく、Aさんの暴言ともいえる発言やパワハラで、退職に追い込まれた人も何人もいます。
私と仲がよかった同僚だけでも、Aさんのせいで2人退職しました。
しかし、私が入社してから2年後のこと、なんとAさんは突然退職して起業したのです。
今後はもうAさんに関わらなくてもよいと思うと、当時の私は心の底からほっとしました。
Aさんの退職後は、会社に行くのが毎日楽しくなりました。
Aさんと同じ職場で過ごしたのはたった2年という短い期間。
しかし、当時の私には、永遠とも思えるような長い長い2年間でした。
Aさんが退職してさらに数年後、Aさんの訃報を聞きました。
Aさんはまだ50代半でしたが、遺体が発見されたのは死亡から1週間以上経過してからだったそうです。
いわゆる孤独死というやつでしょう。
訃報を聞いたものの、私の会社からは誰もAさんのお葬式に行きませんでした。
お葬式に出席して、Aさんの死を悔やみたいと考えるは、1人もいなかったのだと思います。
死に様には、どんな人生を生きたかが映し出されるといいます。
Aさんのように、お葬式にさえ来てもらえない人もいるのです。
せめて死んだときに、周りの人に悔やんでもらえるような生き方をしたいな、と思わされた出来事でした。
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