<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ひろえもん
性別:女
年齢:56
プロフィール:夫と4匹の猫と海辺の街での~んびり暮らす、ごくごく普通の関西のおばちゃんです。
15年ほど前、会社に勤めていた私は、大学生の研修生から社会学の研究と称して家族のことを聞かれました。
そこで、「祖母にアメリカ自治領のサイパンに住むことになったと告げたとき、涙を流してアメリカだけには行かないでと言われたエピソード」を話しました。
そのことが翌日、同僚全員に知れ渡っていて、ことあるごとに「あなたはアメリカが泣くほど憎い祖母のいるアメリカ嫌いの家庭で育ってるから」と言われるようになったのです。
サイパン、いわゆるマリアナ諸島は太平洋戦争における日米の激戦地です。
明治生まれで大阪の悲惨な空襲を体験した祖母は、戦争の傷がまだ癒えていなかったのでしょう。
祖母の気持ちもわかります。
ですが、私も戦前の日本の教えを受け継いでいるとでも言いたげな様子の同僚に、頭にきました。
アメリカナイズされた戦後の教育と文化で育った世代の私がなぜそうなる?
そもそも研修生は、研究と称して知りえた個人情報を第三者に暴露するとはナニゴト?
事実は扱う人によってどのようにでも解釈され、善にも悪にもなっていくものです。
そんなこともわからない相手に協力したことも心から後悔しました。
幼い頃、祖母から戦争の話はよく聞かされました。
祖母からはアメリカに対する憎しみというより、恐怖と深い悲しみが感じられました。
ただし、その頃の私は「あの道の角に死体が山積みにされていた」と祖母が涙ながらに語っても、正直現実味が湧きませんでした。
「塾の帰り道やん。やめてーな」と冗談っぽくたしなめていたと記憶しています。
そんな祖母のもとに嫁いだ母は大のソウルミュージック好き。
私も母と一緒にコンサートに行っていましたし、音楽だけでなくアメリカのファッションが好きで、アメカジばかりを着ていました。
そんな私がアメリカ嫌い? 祖母のトラウマを話しただけで差別しているって? 「こわっ!」と思いました。
逆に祖母の話を聞いていたからこそ、平和を尊ぶ心が生まれ、外国と協調することの大切さを感じ、必死で外国語を学ぶきっかけになったくらいです。
子どもが戦争の話を聞いたから排他的な感情が生まれるなんてありえないと思います。
人間だから自分に都合の良い解釈をすることもあるでしょう。
しかし「そういうレッテルを貼りたがる心こそ、排他的感情にあふれてるんじゃないの?」そう思ったことを今でも腹立たしく思い出します。
個人情報を簡単に漏洩する研究者と、悪意ある解釈でレッテルを貼ってくれた同僚のせいで、私は長年の間、会社でいたたまれない暗い気持ちで過ごすことになりました。
関連の体験記:「あの名前、良くないんだよー」クラス全員の「姓名判断」をして得意気に批判するママ友...
関連の体験記:「あなたにしか頼めないの。口裏を合わせて」不倫を隠し、離婚を企むママ友の「身勝手な懇願」
関連の体験記:あの...同一人物ですか? 勤務中、ほとんど話さない店長が飲み会で「オラオラ」男に豹変し...⁉
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。