<この体験記を書いた人>
ペンネーム:こっこちゃん
性別:女
年齢:52
プロフィール:そろそろおひとりさま上等になりたい52歳。
67歳で亡くなった義父の趣味は家庭菜園でした。
現役でバリバリ働いていた頃は、パチンコや競馬などのギャンブルに凝っていたこともありましたが、60を過ぎた頃から畑仕事に目覚めた義父。
元々地方の田舎で育ったこともあり、様々な野菜を育てるようになりました。
当初はうまく育たないこともあるようでしたが、自分で作った野菜への思い入れは強いようで、収穫したてのものを車で1時間以上かかる我が家に届けてくれたりもしました。
ただ、届けてくれた野菜は不格好なのはともかくとして...虫がたくさん付いているのには本当に辟易しました。
私は虫が大の苦手。
「野菜しか食べてない虫だから大丈夫だ。むしろ農薬など使ってない証拠」と義父は笑い飛ばすのですが、私は苦笑いして受け取るしかなく、季節ごとに虫だらけの大量の野菜を持ってくる義父のことを、内心...ちょっと迷惑にも思っていたのです。
ある時、そんな義父が体調を崩したと聞き、夫と義実家を訪ねました。
寝込むほどではなかったのですが「調子が悪くて畑仕事が思うように出来ない」と言う義父。
そこで、1日義父の指示を仰ぎながら、畑仕事を手伝うことになりました。
ただ、夫は私以上に土いじりに興味がなく、「俺はいいや」と言うので、私は初めて義父と向き合って過ごすことに。
晴天の中、義父の体調を気にしながら休み休み畑を耕して、とりとめのない話をしながら種を蒔く作業は......思いの外楽しく、終わった時の充足感は想像以上でした。
その日は義父も疲れた様子だったので、早めに帰宅しました。
それから1カ月経たないうちに義父は入院しました。
お見舞いに行くと「白菜、だいぶん大きくなったんだよ。水やり大丈夫かな」と畑の心配ばかりしていたので、「帰りに見ておくから安心して」と言うと安心したように目を閉じていました。
それからは義母と力を合わせて畑を見て、義父のお見舞いに行くたびに成長した様子を写真に撮り義父に見せていました。
「退院したらこの白菜で今年初のお鍋をしようね」と。
けれど義父はその白菜を口にすることなく亡くなってしまいました。
四十九日も終わった頃、初めてお鍋をしました。
そして、「お義父さんにも食べさせてあげたかったね」と義母と話していた時のこと。
義母がこんなことを教えてくれました。
「入院している時、同室の患者さんに畑の話ばかりしていて、必ずみんなにこう言っていたの。『嫁が手伝ってくれた、嫁が手伝ったから今年の白菜は美味しいのができる』って。出来たら持ってくるから、と言っていたのよ」
そのエピソードを聞いて、私は深く後悔しました。
一緒に手伝えたのがたったの1日だったこと。
虫だらけだと迷惑に思ったこと。
もっと早くに手伝えばよかった。もっとありがたくもらえばよかった。もっと野菜美味しかったよ、と言えばよかった。
そんな思いが次から次にわいてきたのです。
今は義母が義父の畑を大事に育てています。
白菜を持ってきてくれるたびに義父の亡くなった時期と重なり、ほろ苦い心残りとともに優しかった義父のことを思い出すのです。
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