<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ももか
性別:女
年齢:52
プロフィール:薔薇より美しいヒルガオが好き。
地方に住む40歳・独身の従妹がいます。
彼女は思春期に些細なことから父親である叔父と言い争いになり、きつく叱られたことがきっかけで叔父とは一切口をきかなくなりました。
そして大学進学を機にバスで1時間ほどのところで1人暮らしを始め、40歳の現在も1人です。
今も盆や正月など、年に1〜2回顔を会わせるのですが、彼女は元々あまり口数が多くないので、私とも話は弾まない上、叔父が話しかけても首を振るくらいで、会話というものがありません。
もう何十年も経つのに雪解けしないのか...と、なかなかな頑固っぷり。
呆れるのを通り越して感心すらしていました。
そんなある日、叔母から叔父が癌で入退院を繰り返していると連絡があり、夫とお見舞いに行きました。
病院で面会した叔父は、思っていたよりは元気そうでホッとしました。
当初「余命半年」と言われたにもかかわらず進行が遅いようで、もうそれ以上経っている、という話で、調子の良い時は家に帰ることもあるようです。
でも、そんな叔父の姿より何より驚いたのは...叔父の傍に従妹の姿があったことです。
軽口を叩きながら、甲斐甲斐しく叔父のお世話をしているんです!
叔母によると、叔父の病名を伝えると、飛んで帰ってきたそうです。
現在の病院では「年齢的に手術はせず、抗がん剤も体に負担がかかるから行わず、痛みだけ緩和しましょう」という治療法なのですが、従妹は「本当にその治療法で良いのか」と叔父を別の病院にも連れて行き、納得した上で現状を維持しているのだそうです。
その「熱心さ」には、叔母も驚いたといいます。
また、叔母の看護の仕方にもいちいち口を出し、「そんなやり方じゃお父さんがかわいそう、こうしてあげて」などとダメ出しをされるというから驚きです。
叔父のほうも、病院から一時帰宅のお許しが出ても「〇〇子(従妹のこと)が家にいるなら帰る、いないなら病院にいる」と言い、彼女も叔父が帰ってくるなら、とできる限り実家に帰ってきているようです。
従妹に直接聞くのははばかられる雰囲気だったので、叔母に「〇〇子はどうして急に変わったの」と聞くと「私にもわからないのよねえ。それは〇〇子にもわからないのかも」とのこと。そして、こう続けました。
「ただ、仲直りのきっかけがつかめないままこんなに時間が経ってしまって、お互いにどうしようもなかったんだろうねえ。それがお父さんの病気をきっかけに、もつれにもつれていた糸がするするとほどけたのだと思う」と話していました。
病気のおかげ、と言ってはなんですが、それをきっかけとして20年以上の確執が解けたことに、外野ながら本当に良かったと思いました。
止まっていた時計が再び動き出したように止まっていた父娘の時間が始まったのでしょう。
1日でも長くこの穏やかな日々が続いてくれることを心から願ったのでした。
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