母の死後半年で「恋人をとっかえひっかえ」。心が弱すぎる父が許せません...

<この体験記を書いた人>

ぺンネーム:めざし
性別:女
年齢:42
プロフィール:実家から電車で1時間ほどの距離に住むパート主婦です。

母の死後半年で「恋人をとっかえひっかえ」。心が弱すぎる父が許せません... 10.jpg

母は今から12年前、53歳のとき大腸がんでなくなりました。

父(当時52歳)は真面目で、全く浮気をしないタイプだったのですが、母が亡くなってもう一人で立っていられなくなったのでしょう。母の死後半年から、恋人を作るようになりました。
死後半年というとずいぶん時間がたったように思えるかもしれませんが、母を亡くし、悲しみ続けていた私は「早すぎる」というのが正直な感想。

私は母とは仲が良かったのですが、私の進路に口を出し自分の意見が絶対だと譲らない父とは、高校生のときから関係がよくありませんでした。私は父に関わるのが嫌で、放っておきました。

月に1度、実家へお墓参りのために帰るとき、父と顔を合わせるのですが、そのときに父は恋人のことをべらべらと私に教えてくれます。

パターンはいつもだいたい同じでした。

飲み屋さんで声をかけてすぐ関係をもち、半同棲に。ですが、1週間〜1カ月で振られるのです。

振られる理由は、父がお酒を飲んでは、母の思い出話をし、母がいかにいい人間だったかを未練たっぷりに話すから......。相手の女性は、ふざけるなといいたかったと思います。亡くなった人を忘れられないなら声をかけるな、と。

一方、父は振られても全然気にしていない様子。

「振られちゃってさ」なんていって、振られたことも含めて武勇伝のように話してきます。父は相手の女性のことなんかこれっぽっちも考えていないと感じていました。ただ自分の寂しさを埋めるため、利用しているだけなんだろうと。最低だと私は父を心底軽蔑しました。

父は、このように女性をとっかえひっかえすることを5年以上続けました。

そして、何がきっかけかはわかりませんがようやく落ち着いて、それから7年ほどは恋人も作らずに、一人で黙々と仕事をして暮らしています。毎日仕事に行って、帰宅すれば仏壇に線香をあげ、一人買ってきたお惣菜を食べながらテレビを見る日々です。

父は今も私に「お母さんはいい女だった」なんていいますが、あのときの父の女性関係を思い出すと、寄り添ってあげられません。お前は母の死の寂しさに立ち向かわず、逃げたじゃないかと。周りの女性を利用して。

死後の世界は信じていませんが、あれを母が見ていたらどんなに傷ついていたか。また母の死の悲しみに一人耐えていた私もそんな父の姿に傷つけられた一人です。一番可哀相なのは死んでしまった母なのに、なぜ母のことを考えて踏ん張れないの? 踏ん張ってほしい......と父のいないところで、父のことを考えて号泣することが何度もありました。

当時からわかっていましたが、父はただただ弱いのです。

母なしでは生きていけなかったのでしょう。ですので、今一人淡々と日々を過ごしている父をみると、あのときの償いをしているようにも見えます。落ち着いてやっと母に恥ずかしくない生き方ができるようになった父......。
ですが、私はまだ父が許せずもやもやしています。

母と一緒のお墓にいれてやるのもいやだという気持ちがなくなりません。きっと優しい母だったら、こんなだめな父を許していると思います。でも、私は母のように優しい人間にはまだまだなれないようです。

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