<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ぴろ
性別:女
年齢:54
プロフィール:時がたつのはとてもはやいなぁとしみじみ感じる今日この頃です。
今年母が亡くなって、姉妹で母の思い出話をすることが増えたのですが、その中で小さい頃「母に言われていたこと」が姉妹で違っていたことが判明しました。
私は姉なのですが、小さい頃はとてもおとなしい子で、人としゃべった記憶がほぼないくらいの子どもでした。常に空想の世界にいるような子でしたが、中身は相当強情で頑固な難しい子だったのです。
一方、妹は家族のムードメーカーで明るく、お母さんが大好きな子でした。可愛くて、素直で、場の空気を読める子で、周りから可愛がられていました。
容姿も私は地味で暗い感じで、妹は美人さんでした。
大人になってから「お姉ちゃん、ちびまる子ちゃんに出てくる野口さんに似てたよね」と妹に言われました。自分でも確かに、と思ったものです。
そんな私たち姉妹なのですが、母は姉の私には「一人生きていくためには、手に職だ」と常々言っていました。ですので、「お母さんは、よく手に職が大事って言ってたよね?」と妹に言うと「えー、聞いたことない」。妹には「はやくいい人を見つけることだ」、「公務員なんかいいね」と言っていたそうです。これはいったい??
思えば、容姿もぱっとしなくて、性格は頑固で要領の悪い私は、将来一人で生きていくしかないと思ったのでしょう。そして妹は甘え上手で、可愛い外見と内面をもっていました。この子は素敵な伴侶を見つけたほうが幸せになれると思ったに違いありません。
適材適所ではないけれど、母は私たち二人の個性を見極めていたとのです。
大人になってからの私は、母の教えを胸に刻み、キャリアを積むべく仕事に邁進しました。意外に結婚もできましたが、私は仕事が好きでした。無口だった子どもの頃と今の私は別人のようです。
妹は私の男友達と結婚して専業主婦をしています。妹は家でテレビを見て過ごすのが好きです。二人の子どもの子育てに奮闘しています。妹は「働くなんていや! できればおうちにいたい」派なのです。
そんな二人の性格を母はわかっていたのでしょう。なぜか母の言った通りになっています。それとも、もしかして母の言葉に無意識で影響を受けてしまったのかな。
私たち姉妹は、今も互いを補い合っています。いろいろあるけど仲良しで、二人で話すと話がつきません。
お母さん、私たち全然真逆だけど、仲良くやってるよ、安心してね。
これからもずっとお母さんの思い出話に花を咲かせ続けたいです。
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