「夫は本当は優しい、私が支えないと」モラハラの共依存にどっぷりつかっていた私/chii

DVモラハラ夫との別居も7年目に入りました。

最初はロフトがあったものの6畳ワンルームで、高校生の息子と二人暮らしをスタートしました。

現在は訳あり格安物件の2DKで暮らしていますが、いよいよ息子が巣立つことになり、それにともない私もワンルームに引っ越すことになりました。

バタバタと忙しい時は、過去を思い出すひまもありません。

現在、DVモラハラ夫との23年間の異常な結婚生活を振り返って連載しています。

過去のつらい経験を整理していく良い機会にもなっています。

前回の記事:「女の子だったよ~亡くなったって」出産直後、我が子は亡くなった。夫はなぜか笑みを浮かべていた/chii

「夫は本当は優しい、私が支えないと」モラハラの共依存にどっぷりつかっていた私/chii pixta_14704374_S.jpg

次女を亡くして二年後、息子が産まれました。

夫が待ち望んでいた待望の男の子の誕生に、夫は涙を流して喜びました。

夫の涙を見たのは、その時が最初で最後かもしれないです。

しばらくは平和で幸せな日が続きました。

これで家庭は安泰、夫のモラハラも治るかもしれないと期待しましたが、残念ながら長続きしませんでした。

息子が産まれてすぐに、亡き義父が一人で住んでいた古い実家に引っ越したのですが、その時から私はかごの中の鳥になったのです。

夫は女は家にいるものだという考えの持ち主で、私が外出するのを嫌がりました。

家にいて完璧に家事をしろと言い、帰宅後は掃除をしたかチェックをします。

台所のふきんにゴミがついていた、テレビ台のほこりをふいていない等々とにかく細かい。

小さな庭があったのですが、そこの掃除もチェックされます。

葉っぱが一枚おちていただけでも、真っ赤な顔をして怒ります。

あげくのはては、動物のふん。

家の前に猫や犬のふんがあるだけで、怒られました。

「おまえがちゃんと見張っていないからだ」って。

家の前まで見張ってるなんて、できるわけありません。

二人の子どもの育児をしながら、私は心が休まるひまはありませんでした。

世間と遮断された生活で、実家に帰るのも嫌がりました。

それでもお盆とお正月は許可をもらい帰省が許されたのですが、時間制限があったのです。

夜8時まで帰ってこい、一分でも過ぎれば家に入れないと言われ、実家に帰っても、もちろん日帰りで、ゆっくりすることができませんでした。

門限に5分遅れて帰った時、本当に家に入れてもらえない時があったのです。

鍵をあけて中に入ろうとすると、夫が玄関で仁王立ちです。

「約束やぶったばつだ! 今日は家に入れないからな」

もう泣きそうになりながら、友達の家に泊めてもらったこともあります。

こういった夫の異常な言動は子どもたちに良い影響を与えるはずもなく、思春期はとくにいろいろありましたし、大人になった今でも自己肯定感が低い人間になってしまいました。

なぜ、さっさと別れなかったのか?

よく聞かれます。

それはモラハラDV夫には、良い面もあったからです。

仕事がうまくいっている時は、とても優しく子どもたちにもお小遣いをあげたり、スーパーにいって美味しいお肉を買ってきたりです。

この人、本当は優しくて良い人なんだと思いたかったし、夫はかわいそうな人なんだ、私が支えてあげないとなんて思っていました。

モラハラ特有の共依存というものに、どっぷりつかっていきました。

夫の顔色を見ながら暮らす毎日でしたが、私は自分さえ我慢すればいいのだと思っていたのです。

ところが、モラハラだけではなく暴力も再び始まったのです。

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健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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chii

​モラハラ夫の家を飛び出して、大学生の息子と2人暮らしをしているchiiと申します。離婚は選択せずに熟年別居中。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、今の一人の時間が幸せに感じています。別居直後に書きだした「60代小さく暮らす」、お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」という二つのブログを書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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