熟年別居をしてから7年目のchiiと言います。ここまでくるまでには本当にいろいろあり、自分でも波乱万丈の人生をおくってきたなと思います。
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親戚付き合いを嫌がった夫は、私の里帰り出産でさえいい顔をしませんでした。
それでも私は、初めての出産で不安だったこともあり里帰り出産を強行しました。
臨月になり大きなお腹を抱えて1人で帰りました。
出産予定日の一週間後、私は破水したので病院に向かいました。
最初は母が付き添ってくれたものの、陣痛が長引きそうだし仕事もあるからと、帰ってしまったのです。
たった1人で16時間狭い陣痛室で苦しんだ末、帝王切開の手術をすることになりました。
陣痛促進剤を打っても、子宮口を柔らかくする薬を飲んでもお腹の赤ちゃんは出てきそうになくて。
手術同意書にサインしてもらうために、再度母に来てもらう。
帝王切開手術のための麻酔の注射がすごく痛かったのを覚えています。
無事に女の子が生まれたのですが、夫は一週間会いに来ませんでした。
私が里帰り出産をしたのが面白くなかったのだと思います。
一週間後、険しい顔で、病室にやってきた夫。
労いの言葉をかけるどころか「俺は男の子を産めと言ったよな、女はいらないから今すぐに捨ててこい」と信じられない言葉を言ったのです。
私は頭を殴られたようなショックを受けました。
28年たった今でも、その一言は忘れられません。
ひどい言葉を吐き捨て、違う部屋にいた赤ちゃんはチラ見しただけで帰っていきました。
退院後、1カ月検診が終わるまで実家にお世話になったのですが、夫は一度も顔をださなかったし、迎えにもきてくれませんでした。
お店を経営している実家では、だんだん居場所がなくなっていき、私は生後1カ月の娘を連れて一人で夫の待つアパートに帰りました。
今度はどんなひどい言葉を投げつけてくるのか、正直不安でいっぱいでしたが、意外にも夫は優しい顔で迎えてくれたのです。
そしてしばらくは抱っこしたり、ミルクをあげてくれたり、お風呂に入れてくれたりと父親らしいことをしてくれたのです。
当時はとても幸せでした。
娘が夫を変えてくれるかもしれないって期待もしちゃいました。
「捨ててこいなんて本心じゃなかったんだ」「自分の子だもの可愛いに決まってる」と内心ほっとしていました。
お宮参りもお食い初めも、普通の家庭と同じように祝うことができました。
モラハラもDVも息をひそめた幸せな時間が続きました。
ただその頃から、私は夫を怒らせないようにいつも細心の注意をはらっていました。
夜は夫は1人で、居間で布団を敷いて、私と娘は隣の和室で寝ていました。
娘の夜泣きがひどい時は、夫を起こさないようにそっと外に出て一晩中抱っこしていたこともあります。
娘が2歳を過ぎるころまでは、平和な毎日が続いていたのですが、仕事で何か嫌なことがあるとまた荒れるようになっていったのです。
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