熟年別居をしてから7年目のchiiと言います。ここまでくるまでには本当にいろいろあり、自分でも波乱万丈の人生をおくってきたなと思います。
前回の記事:「俺は男の子を産めと言ったよな、女はいらない」モラハラDV夫、七五三でも突然不機嫌に/chii
今はモラハラという名前は知れ渡り、モラハラ夫と離婚したというブログをよくみかけるようになりました。
昨年からコロナ流行によるステイホーム推進で、離婚は急増しているとよく耳にします。
モラハラ夫との暮らしは息がつまります、24時間一緒に過ごすというのはまさに地獄と言ってもいいかもしれません。
私の場合はモラハラに加えて家庭内暴力もありました。
心の傷は癒えていっても、身体についた傷は今も残っています。
今日は、夫が42歳の厄年に起こった不幸な出来事を書いていこうと思います。
厄年って本当にあるんだと思うほどに、いろいろありました。
夫は気が小さい性格ゆえ、厄年を大変気にしていたので、お正月には○○大師に厄除け祈願に行きました。
ちゃんとお祓いをしてもらい、お札も買ったと思います。
そんなものは効き目がないって、あとから思いましたが。
最初に起こったのは、私の交通事故です。
娘と横断歩道を渡っていたら、交差点の後ろがわからくるワゴン車にはねられたのです。
地面にたたきつけられ、体中に痛みが走りました。
目の前にワゴン者がせまってきた恐怖を覚えているのですが、あの時運転手がブレーキをふまなかったら、私と娘は今、この世に存在していなかったかもしれません。
幸いにも、軽いむち打ち症ですみ、整形外科に半年ほど通うだけですんだのです。
次に起きたことは、夫の原因不明の動悸、息切れ。
あらゆる検査をしてもどこも異常は認められずに、最終的には自律神経失調症と診断されました。
当時夫は抗不安剤と睡眠薬を服用していましたが、いつもよりもさらに不機嫌な状況が続き、私ははりのむしろに座らされているような、ビクビクとした日々を過ごしていました。
その後、今度は義父に腹水がたまり、病院へいったところ、末期の肝臓がんと診断され余命宣告を受けました。
私はモラハラ夫の命令で、入院中の義父の介護をしました。
3カ月の闘病の末、義父はこの世を去りました。
私が義父の臨終の場に立ち会えなかったことで、その後も長い間、夫に罵られました。
使えない嫁、最低な嫁、バカな嫁等あらゆる人格を否定されるような言葉を言われ続けました。
そして夫の厄年の年の最後に起きた不幸な出来事は、某スーパーで盗難の被害にあったことです。
年末の大混雑のスーパー内でバッグごとひったくりにあったのです。
バッグはすぐに女性用トイレからみつかったものの、現金のみ抜き取られていました。
運悪くお正月の準備や光熱費の支払いなどで10万円を、銀行からおろしたばかりだったのです。
10万円すべてなくなっていました。
夫には言えるはずもなく、お正月の支度はすべてカード払いでなんとかしのぎました。
普通の夫婦だったら、お金をすられたと本当のことが言えるものなのでしょうか。
私は夫が怖くて、とても言えませんでした。
「ばかもん!」と鉄拳が飛んでくるのが想像できたからです。
夫の42歳の厄年にはこれだけの不幸な出来事が続きました。
これだけ悪いことが続いたのだから、もう厄は落としたはずと思っていたのですが、その次の年にはもっともっと悲しいことが起こりました。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。