貧乏母子家庭だと大学にも行けないのか。受験生の息子を苦しめた「母の判断」/chii

大学受験のシーズンを迎えています。

この時期になると苦しかった2年間を思い出します。

受験生である息子本人が一番つらかったと思うけれど、母親の私も心労で3キロくらい痩せた記憶があります。

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まず1月のセンター試験(現在は共通テスト)でつまづいた息子は、やる気を失っていました。

国公立大の二次試験対策をまったくやっていなかったことで、もう間に合わないって思ったようです。

貧乏だから多額の奨学金を借りることになる私大の進学はあきらめていました。

高校の担任が、浪人できないなら私大も受験しては?とすすめてくれたのですが、どうせ行けないのだからと結局は一校も受けずじまいでした。

国立大の二次試験は2月の後半に行われたのですが、またまた本番では、普段の力を発揮できなかったようで、暗い顔をして帰宅しました。

もうその時点で浪人を決めていたようです。

母親の私は、まだ望みを捨てていなくて、たとえ1パーセントでも合格する可能性があると、合格発表を待ちました。

第一希望の合格発表の前に、まだ国公立大の後期受験が残っていました。

私はどうしても春には大学生になってほしいという思いが強く、後期試験を頑張るようにはっぱをかけていました。

しかし本人は、「うん、わかった」と浮かない返事で、受験勉強もやめてしまったのです。

どうしても春には大学生になってほしかった理由は、貧乏母子家庭で、浪人は無理だという思いが強かったからです。

予備校に行かせる余裕はないし、一年間家に引きこもっていたらおかしくなるのでは?と思っていました。

息子は、宅浪すると言う。

宅浪とは、予備校も塾も行かず、自宅で受験勉強をすることを言います。

相当、強靭な精神力がないと無理だって、思いました。

だから、最後まで浪人することは反対していたのです。

3月の初めの後期試験の日、私は早朝に仕事にでかけました。

息子はすでに起きていて準備をしていたので、てっきり受験するものだって思っていたのですが、彼はそのチャンスを自ら捨ててしまいました。

職場から「受験に行ったよね?」とLINEで連絡をすると、既読になりませんでした。

今、受験中だから、返事できないのかもと勝手に解釈していたのです。

アパートに帰宅すると、息子は布団の中で死んだように眠っていました。

青白い顔、覇気のない表情に、声をかけることもできませんでした。

息子が後期試験を受けなかったことを知り、絶望でいっぱいになり、布団の中で泣きました。

彼が浪人を決めたことを、受け入れることができない自分がいました。

家庭が裕福ではない同級生は、第二希望や第三希望の大学に進学を決めていました。

入れる大学に入ってしまおうという考え方です。

私は正直、うらやましかったけれど、何しろ息子は国公立大一校しか受験しなかったのですから、受かった大学に行くという選択もできなかったのです。

その時になって、いろいろと反省しました。

借金してでも、塾へ行かせるべきだったと、そして国公立大一校に絞るのではなく、私大も受験させるべきだって後悔したのです。

何校も受けていれば、場数をこなせば、受験の雰囲気にのまれることもなかったかもしれないとも思いました。

貧乏だと大学へ行けないのか、就職するべきかと、悩んだ末の大学受験への挑戦でしたが、残念ながら桜は咲きませんでした。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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