モラハラDV夫から逃げ、日の当たらない2DKのアパートに引っ越した私たち親子。
しかしそこは安住の地ではなかったことは、前回の記事に書いた通りです。
【前回】モラハラDV夫から逃れ、家賃5万のアパートへ。しかしそこも「安住の地」ではなく.../chii
高校一年生の時から、アルバイトをしていた息子は、高校三年生になってもアルバイトを続けていました。
高校の授業の合間に、アルバイトをして、家計を助けてくれたのです。
夜は、一日4~5時間は勉強していたと思います。
家計が苦しいことは、彼もよくわかっていたので、お金のかからない公立大学を目指すことを決めていました。
高二の秋ごろから、行きたい大学の見学にも行き、資料を取り寄せて、志望大学を決めていたようです。
高校の担任から、国立大学を目指すなら、塾へ通うことは必須だと言われていました。
塾へ、親子で面談に行ったこともありますが、とてもとても払える金額ではなかったのです。
借金をしてでも塾へ通わせるべきかと悩んでいた私ですが、息子はそんな余裕がないのは、わかっていたのか「大丈夫、俺は独学でやってみる、塾へは行かないから」と言ってくれたました。
参考書や、赤本と呼ばれる過去問題集を欲しいと言えば、惜しみなく買ってあげていました。
それはけっこうな金額になっていましたが、現役で合格してほしかった私も必死でした。
血眼になって勉強するとは、こういうことだと彼を見て思いました。
これだけ頑張っているのだから、絶対に合格すると私は信じて疑いませんでした。
高校三年生の秋にバイトをやめ受験勉強に専念し、毎月のように大手学習塾の模試を受けました。
塾へ行ってなくても、模試は受けられるのです。
模試は、その都度志望大学の合否ラインの判定がでます。
AからEまで、当時はその判定結果に、一喜一憂していたものです。
9月ごろの模試結果で、志望大学はA判定だったので、もっと上を目指そうかと迷い始めました。
当時、私は彼に、母親として信じられない言葉を発していました。
「貧乏だから、私立大は無理。国立大一本で、まして浪人は絶対許さない」
これは、息子に発破をかけるつもりで、言っていたのですが、この私の言葉が、後に息子を苦しめることになってしまいました。
11月頃でしょうか、彼は勉強をするのを、ピタッと辞めてしまいました。
もう、無理だ、間に合わないと言い出し、毎日毎日布団にくるまっている姿を見て、これからどうなってしまうのかと不安になりました。
模試の結果が伸び悩んだのが、理由のようでした。
A判定から、E判定へ、最低ラインに落ちたこともありました。
受験間近となり、みんな最後の追い込みが結果に表れてきます。
この時、塾へ行かせなかったことを後悔しました。
大学受験に向けて、助言をしてくれる人も、励ましてくれる人もいなかったからです。
息子の大学進学は、貧困の連鎖を防ぐために決めたこと。
本人も莫大な奨学金という借金を背負いたくないという理由から国立大受験を選択していました。
私自身は、できたら就職してほしいという思いもありましたが、大学へ進みたいという彼の気持ちを尊重し応援していたのです。
その頃、彼はよく絶望という言葉を口にしていました。
「人生に絶望した、貧乏に絶望した、孤独に絶望した」
嘆き苦しむ息子を見守ることしかできませんでした。
アルバイトも辞めて、学校の授業もなくなり、アパートにひきこもっていた彼。
孤独感に襲われ、おかしくなってしまって当然だと思います。
ついにはセンター試験を受けないと言い出しました。
母親の私も絶望の中にいました。
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