<この体験記を書いた人>
ペンネーム:いわやん
性別:男
年齢:66
プロフィール:年金暮らし。定年退職後、父の看病に従事しています。
私(66歳)は昨年退職し、妻(66歳)と年金暮らしをしています。
ちょうど昨年の夏ごろの話です。
同居している実父(90歳)にガンが見つかりました。
父は歳のわりにはとても元気な人で、少し耳が遠い以外は健康そのものでした。
新聞を毎日読み、写経したり、パソコンで将棋をさしたり、近所の方と体操をしたり一緒に散歩にでかけるのが日課でした。
そんな父に肝臓ガンが見つかった時には、すでにステージ4まで進行していました。
父がステージ4のガンだと言われ、最初私の頭の中は真っ白になってしまいました。
一緒に先生の話を聞いていた妻も「毎日三食、残さず食事も召し上がるのに......」と絶句していました。
私と妻は病院の先生とも話し合い、父に告知することを決めました。
「ワシはもう歳も歳なので手術や治療はしないでいい」
病院の先生と3人で説明すると、きっぱりこう言い切る父。
その通りにすることにしました。
しばらくの間は症状も特になく元気な様子でしたが、昨年の11月ごろに風邪を引いたあたりから体調を崩し始め、入院。
父は、先日とうとう酸素吸入をし始めました。
もう会話することもままなりませんが、私の娘(32歳)と一緒に見舞うと、瞳を動かしほんのり微笑みます。
娘はおじいちゃん子で、2年ほど前に結婚してからは隣の都道府県に移り住んだので離れて暮らしていましたが、小さい頃は父と一緒に寝ることもあったほどです。
父も娘を可愛がってくれ、抱っこや肩車などもよくしてくれていました。
娘の結婚を一番喜んでくれたのも父でした。
「ひ孫はまだかって心配してくれよったけど、出来たんよ。頑張って私の子供見てやって」
娘は父の手を取り、こう声をかけていました。
その姿に思わず私も病室で涙を浮かべてしまいました。
父は厳格な人ではありましたが、その分家族のことを考えてくれる人で、若いころは仕事を幾つか掛け持ちし、私の叔父や叔母といった自分の兄弟の世話までしていたほどです。
そのためかあまり遊びには連れて行ってもらった記憶はないものの、私を大学まで行かせてくれ、その後も実家に戻るまでは自由にさせてくれた父に心から感謝しています。
私はあいにく医療に関しては知識が深くはありません。
父の病室を覗いては、ただ見守るだけで何も出来ない自分を歯がゆく思いますが、こればかりはどうすることもできません。
ただただ、父との思い出だけが脳裏に浮かび、今まで面と向かって言えなかったありがとうが溢れてきます。
毎日、あと何度感謝が伝えられるか、そう考えるたびに涙しています。
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