<この体験記を書いた人>
ペンネーム:わんわん
性別:女
年齢:50
プロフィール:50歳会社勤めの主婦。55歳会社員の夫、20歳大学生の息子と3人で首都圏在住。
私(50歳会社員)は毎朝鏡に映る自分を見るたび、年月の経過にドキッとします。
毎朝の鏡は一応心構えができているので「でしょうね」というあきらめ半分、驚き半分くらいなのですが、厄介なのがスマホで写真を撮ろうと操作しているとき。
「反転」をタップしてしまって、下から見上げた真顔の自分がスマホに突然映ると、自分の顔なのに恐怖と驚愕でスマホを落としそうになります。
元々が美人だったわけでなし、美を追求してきたわけでもなし、特段なんの努力もしてなくて、こりゃ当然だわ、と気を取り直しながら生きています。
高校生の頃は50歳なんておばあちゃんだと思っていたし、50歳ともなると、俳句とか短冊に筆で書いたり、着付けもできて茶道とか極めたりしてるんじゃないの? と想像していました。
高校生の私、ゴメン、どれも全くできていません!
「あれ? なぜこんなに自分の内面が変化しないの? 外見だけ変わるなんてずるい」
なんて疑問に思っているうちに、50歳まできてしまった感じです。
高校一年生の頃と比べると、35年の人生経験を重ねてきた分、「そういう人もいるよね」「こんなこともあるよね」と度量が大きくなったという自負はあります。
でも、基本的な根っこの部分は変わってない気がします。
高校生の頃と同じようにうっかり屋で、忘れん坊で、人が好き、甘いものが好き、人に喜んでもらいたい、卑怯なことはしたくない...性格や好み、信条は変わっていません。
「もう50歳だなんて...」という哀愁や感慨はあまり感じていませんでした。
服の趣味も、高校生の頃からシンプルで派手ではないものが好みだったので、今でも高校生のときに買ったスカーフを使っているくらい。
持っている服も(サイズ以外は)あまり変わりません。
私が高校生だった1985~1988年くらいは、着る人の年代によってお店がはっきりと分かれていたので、母と私が同じ店で服を買うことはありませんでした。
しかし、今は母娘で一緒に洋服を買えるお店が増えてきたように感じます。
楽しそうに買い物をしている母娘を見ると羨ましいです(我が家は息子1人なので)。
コロナの前(2020年1月頃)久しぶりに実家のある関西へ帰った際、高校生の頃によく買い物に行った繁華街に行く機会がありました。
いつも主人の実家中心に休暇を過ごし、馴染みのある故郷の繁華街で自由な時間を過ごすことが少ない私。
本当にうれしくて、懐かしくて、すっかり自分が50歳だということを忘れ、半ばスキップしながら歩いていました。
すると、高校生の頃に大好きだったお店が当時のままに営業しているのを見つけました。
うれしくなってつい、高校生のときと同じ感覚でふらりとお店に入ってしまいました。
うきうきと店内を見まわしていると、何だか店員さんの様子が変...。
私ではなく、私の背後から誰かが一緒に入ってくるはずなのに? という様子でお店の入口をきょろきょろ見ています。
そこではっと我に返った私。
「私50歳だった! 私に娘がいて、娘の買い物についてきたお母さんだと思われてる!」
そう気づき、急に恥ずかしくなってそそくさとお店を出てしまいました。
タヌキが人間に化けて街中へ出てきたのに、急に変身の術が解けてしまったようなあわてぶりだったと思います。
お店の人は「あの人、はぐれてしまった娘さんを探しに行ったのかな?」とでも思ったことでしょう。
50歳のマナーとして、客観的な視点をもって、周囲を戸惑わせないような服装・ふるまいを心がけなくちゃいけないな、と反省しました。
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