<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まー子
性別:女
プロフィール:20年来に持病の悪化で帰省した私。そこで見た両親の関係悪化に黙っていられず、間に入り続けました。
私(38歳)は持病である難治型アトピー性皮膚炎が悪化し、療養のため20年ぶりに実家で5カ月間ほどお世話になりました。
最初はただただ両親(70代)との生活が新鮮で楽しく過ごしていましたが、次第に日常の中で、母が父に対して嫌悪感やイライラを示している姿が目につくようになりました。
定年退職した父は年金生活を送りながらも、近所でマンションの管理人としてアルバイトをしています。
週5日、午前中のアルバイトをした後は、趣味で社交ダンスを楽しんでいます。
父は過去にがんで手術をしているためか筋力が弱く、重いものは一切持てません。
生活に必要な食品や日用品は、全て母か同居している妹が買い出しに行っていました。
ほとんど家事もせず、趣味のダンスに行っているという生活です。
一方で母も年金生活ですが、週4〜5日アルバイトをこなし、家事はほぼ全て母が行っています。
その暮らしぶりを見た私は、あまりにも母に負担が偏っている現実を目の当たりにし、びっくりしました。
そしてある日事件は起きました。
小さなことですが、母が父に何かをお願いしたのですが、父はこれを平気で断ってしまったのです(悪気は一切なかったようです)。
それがきっかけになって、母は今まで溜まっていたモヤモヤや我慢が一気に爆発したのでしょう。
憤慨したまま家を飛び出してしまいました。
近所の24時間営業のカフェにいた母をなんとか説得して家に連れ戻した私は、このままではまずいと感じ、父と母と3人で話し合うことにしました。
母が父に対して感じている不満や憤りを、そのまま素直に伝えて欲しいと促しました。
母がずっと欲しかったもの、それは父からの愛情。
仕事に家事にいっぱいいっぱいな母をもっと気遣って欲しいかったのです。
母は人に助けをお願いすることが苦手で、何でも自分で背負って不機嫌になってしまうという癖も見つけました。
父は不器用なので母の気持ちには気づかずに、母がしてくれていることを当たり前のように享受していました。
父は深く反省して、それからは料理や洗濯、軽い食材の買い出しも行ってくれるように変わりました。
手伝ってくれないときは私からお願いをしました。
あんなに料理をしなかった父の得意料理が今では「パエリア」に。
母のことも「お前」ではなく名前で呼ぶようになり、乾き切った夫婦仲に潤いが出ました。
2人で楽しく旅行にも行っています。
あの話し合いのとき、私が間に入ることで、母は感情的にならずに素直に気持ちを吐き出せたと後から教えてくれました。
今では恥ずかしながら、両親から「最高のカウンセラー」と呼ばれている私。
両親が仲が良いと、子どもの私は無条件に幸せです。
次にカウンセリングしたときは手数料を請求しようかしら。
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