<この体験記を書いた人>
ペンネーム:茉莉花
性別:女性
年齢:51
プロフィール:アラフィフのシングルマザーです。3人の子どもがいます。
30年ほど前の話です。
学校を卒業して約1年後に、お付き合いしていた当時24歳の彼と23歳の私は、地方都市の総合結婚式場で結婚式を挙げました。
彼の実家は、とある県の山奥のもうひとつ山奥、いうなれば自然(しかない)豊かな土地にありました。
彼の父親(当時60代前半)は、その土地で誰一人知らない者はいない名家出身の人。
その息子が結婚するのですから、地区を挙げての催しものになるだろう...ということは事前に彼と彼の両親から聞かされていたものの、今ひとつピンとこないまま当日を迎えました。
初めての結婚式、着物、ドレス、披露宴、その準備等々、他に考えるべきことが山ほどあったので、彼の実家のしきたりまで考える余裕はなかったのが正直なところです。
当時はバブル経済がはじけた直後でしたが、まだまだ好景気で豪華絢爛な結婚式が当たり前。
結納、両家挨拶の会、新婚家具をガラス張りのトラックで新居まで運ぶ等、今の若い世代の人たちには想像できないと思われる儀式のオンパレードです。
彼の実家と私の実家は県を跨いでいたので、私と私の実家親族は結婚式場のあるホテルに前泊しました。
そして、当日は早朝から式の準備(といっても私はほぼお着替えだけ)に入りました。
私は教会式に憧れていましたが、予約した結婚式場は神前式しかありません。
白無垢姿で神前式、その後の披露宴では、白無垢→色打掛→色ドレスという順番でお着替えをしました。
白のウェディングドレスも着たかったのですが、時間の都合でカット。
時間がなかった理由は、披露宴が終わった後、彼の実家で彼側の親族だけを集めたお披露目会に出なくてはいけなかったからです。
披露宴に呼べなかった親しい友だちを集めて2次会、もしくはそのままハネムーンに出かけるなんてことは御法度でした。
私は嬉しさと忙しさと緊張で、ろくに食事もできないまま披露宴はお開きになりました。
ゲストを見送るや否やドレスを脱ぎ、式場の控室でまたまた色打掛にお着替え&メイク。
そのまま、彼の実家へタクシーで運ばれました。
その日の朝とは違って、お着替えの最中もお披露目会にも私の身内が誰一人おらず、寂しさで泣きそうになりました。
彼の実家では、すでに彼を交えてお披露目会が始まっていました。
私は誰にも見られないよう裏門から仏壇の間に入って、宴の間に呼ばれる時を待っていました。
襖一枚隔てた隣の部屋から賑やかな声が響き渡ってきます。
1時間後、ようやく声がかかり、皆の前で彼と共に座り、一礼をしました。
それが終わったら、また仏壇の間に戻り、今度は訪問着に着替え、皆さんの食事後のお茶出し係としてまたまた宴の間へ。
訪問着に着替える時、余りにも辛くて義母に泣きついてしまいました。
そしたら義母はこう言ったのです。
「お茶くみが終わるまでがこの地区の結婚式。○○家の嫁として皆さんに見ていただく、それが新妻の勤めです」
結局、その日の宴が終わったのは夜の9時を過ぎていました。
やっと、ゆっくり寝られるのかと思いきや、次の日は何と午前中にお披露目会に来られなかった家を1軒ずつ訪問し、挨拶をする「顔みせ」という行事が控えていました。
またまた早朝から訪問着にお着替え。
彼が(その時点では夫ですが)横でグーグー眠っているのに、私一人また行事があるなんて...ずるい! と思いながら新妻の勤めをはたすため、義母と一緒に出かけました。
大変な田舎の結婚式のしきたりのお話...今でも残っているのかしらと、ときどき思います。
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