<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ゆらら
性別:女
年齢:52
プロフィール:幼い頃から偏食で育った私。学校給食の苦痛を乗り越えた後、社会に出てもしんどい思いや恥ずかしい思いをしてきました。
私は幼い頃から肉、魚が苦手、魚介類もダメ、キノコ類も食べないという偏った食生活で育ちました。
子どもの頃、内科の先生に「そんなに肉も魚も食べなくて普段は何を食べてるの」と聞かれ、納豆や豆腐が好きだと伝えたら「それなら大丈夫」と笑われたことがあります。
それを真に受けたわけではありませんが、これまで本当に納豆や豆腐、野菜ばかり食べて生活してきました。
小学生の頃、給食の時間が何より苦痛だった私。
嫌いなものが入っていると昼休みになっても食べ終えることができず、先生のお許しをもらうまで席に座ったまま泣いていたのを覚えています。
でも、肉が嫌いと言いながらハンバーグや餃子、唐揚げは食べられるんですけどね...。
成長する中でも私の好みはそのまま偏り続けたため、友だちと食事に行くときは「何が食べられるの?」と先に聞かれるようになりました。
そして、ラーメン、ハンバーグ、パスタと好みのものを挙げると、結局ファミレスやファストフード店に行くことに。
就職してからも偏食が原因でさまざまな体験をしました。
初めて海外出張で上海に行ったときのこと。
上海に到着した夜、取引先の招待で本格的な中華料理店に行くことになり、途端に胃が痛くなるほどの緊張と恐怖に襲われました。
ドキドキしながら丸いテーブルにつくと、大きな土鍋やセイロが。
店員さんが土鍋の蓋を開けると、いきなり亀の手のようなものがニョキっと出てひっくり返りそうなほど驚きました。
それはスッポンで、土鍋に入れてもち米と一緒に炊いたご飯だったのです。
取引先の人も上司も慣れた手つきでスッポンをつつきながら、美味しいと言って食べています。
幸い、全員に取り分けられることはなかったので、私はもち米の部分だけを小皿に移してチビチビと食べました。
セイロの中身は小籠包でしたが、見た目と違って中の挽き肉に少し臭みがあり、スープだけを飲んで残してしまいました。
食事の時間の記憶はその程度で、ほとんど頭の中が真っ白の状態でした。
みんなで食事をしたのはそのときだけで、翌朝はホテルのビュッフェでパンやサラダ、昼と夜は上司と別行動だったので、ファストフードで済ませて帰国したのです。
二度目の出張先はカナダのバンクーバー。
食事のことで不安だった私を心配した先輩が取引先にそのことを伝えてくれて、ごく普通のレストランへ連れて行ってもらえました。
「肉料理は無理だった?」
「ハンバーグなら食べられます」
そう答えるとちょっとクスクスと笑われ、それから「カナダにはハンバーグはないですよ」と。
帰国してから知ったのですが、ハンバーグはドイツ発祥の肉料理で、どの国にもある食べ物ではないようです。
でも、あの時の私は、「え!? ハンバーグがないの!?」とかなり動揺。
慌ててメニューを広げて食べられそうなものを探す私に「ミートボールならありますよ」と取引先の女性が教えてくれました。
心配でしたがそのミートボールを注文。
少しハーブが強かったのですが何とか食べ切ることができました。
仕事を辞めてからは慣れない人との食事はなくなったので、自分の偏食を気にすることはほとんどなくなりました。
好きな物を作って、食べたいお店に入って、自分らしい食事を楽しんでいます。
ただ、子どもの食事には気を遣いました。
私が嫌いな物は作らない、食べさせないのは良くないと分かっていました。
苦手な食べ物は上手く作れないので、きっとそんなに美味しくなかったと思います。
でも、私のように人と食事をするのに楽しめない、楽しいはずの食事が緊張や苦痛の時間になることがないようにという一心でした。
その努力が実ったのか、現在娘は32歳、好き嫌いがなく何でも食べられます。
私とは真逆のタイプに育ってくれたことに、ほっとしています。
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