毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなどさまざまな感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「父が珠に教えたこと」について。あなたはどのように観ましたか?

【前回】緊張の新・朝ドラ第1週。背景のある"クズ父”、語りすぎない脚本…すでに良作の予感


第2週のタイトルは「父からの、解放」。第1週から5年がたった大正2年、珠(石橋静河)は高等女学校の4年生になり、同人誌をつくり、縁談で嫁ぎ、逃げ出し、父の死を見送る。めまぐるしい1週間を見終えて残るのは、珠を縛るものが、父の清治(渡部篤郎)を縛ってきたものでもあったという実感である。

女学校で音読させられるのは、「およそ主婦たる人に最も必要なことは、愛と希望と忍耐とでございます」という良妻賢母の教えだ。同級生の角田忍(木竜麻生)は、親が勧める縁談を拒み、平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他の光によって輝く」を読み上げて、自分のことなのになぜ親が決めるのかと憤る。他の光で輝く月とは、親や夫に従って生きる女の姿である。

意見が通らなくても、同人誌なら何を書いてもいい。
忍のこの提案は、少女たちが手にした小さな自由だ。忍が書いた「女性の地位向上を阻む13の壁」は、3つ4つのつもりが13にもなったという。雇用ひとつとっても壁が残る2026年の今に通じる話である。

女学校は、誰でも行ける場所ではない。幼なじみで家業の店を手伝う梅(松本穂香)が「いいねえ、女学校」と珠に憧れの目を向ける中、継母のリョウ(国仲涼子)は違った。自分が珠の年頃にはすでに嫁いで毎日が大変だったのに、「羨ましい」ではなく「嬉しいわあ」と言い、珠の勉強や友達づきあいを聞けば「自分のことみたいにうれしうなるんよ」と言う。自分が大変だったから同じ思いを強いるのでもなく、次の世代を羨むのでもない。そこにあるのは、自分なりの自己肯定と、次の世代への連帯である。珠はそんなリョウを重ねた小説『やさしいアンナ』を書く。

「アンナが馬鹿を見ても淡々と働いちょる姿がせつのうて、いじらしうて、でも美しうてええな、思うちょる」
 
しかし校長は、この小説を男性への皮肉と咎めて、同人誌「黎明」を捨て、珠は筆を置く。決定的なのは嫁入り前、リョウが珠の手を握って言う「旦那さんを信じて、ええとこちょっとずつ見つけていきゃきっと。珠様、辛抱するんよ」である。珠がアンナに見た、淡々と耐える美しさを、リョウは今度は珠に託す。珠はこの言葉を苦々しくは受け止めない。リョウは、珠の青春を我が事のように喜び、のちには父の死に清々する珠にさえ「それでええんよ」と言う母だからだ。放蕩無頼で怖くて理不尽な父を「嫌じゃない」と思い、母の生き方を「せつのうて、いじらしうて、でも美しい」と感じる。第1週の作文で父の孤独を見た目が、珠の中に育っている。リョウのようにありたいと思ったからこそ、父が決めてきた縁談を受け入れたのだ。同人誌の仲間も、忍以外は花嫁になることに当初は肯定的だった。受け入れた珠を叱り、仲違いしたのは忍だけである。

そして清治である。本家から援助を打ち切られ、弟の清重(三浦誠己)に頭を下げた清治は、「この穀潰しが」と吐き捨てられて、「懐かしいのう、おやじにもよう言われちょった」と言いながら去っていく。冗談のふりをして傷つき、傷つくことをとうに諦めている弱さが、この去り際ににじむ。料理屋で暴れて警察の世話になった後、迎えに来た珠の不機嫌な目を見て「今の目はええのお。度胸もあるし頭もええ。わしに似ちょる」と言う清治。暴れるでも喚くでもなく、相手を正面から見据えて自分の意思を語る目は、清治がずっと憧れてきたものだったのかもしれない。

渡部篤郎の魅力は、胡散臭さや出鱈目さと、硬さ、弱さ、色気とをアンバランスに内包しているところにあると思ってきた。本作の清治では、円熟と瑞々しさ、枯淡と清新を併せ持つ演技で、威圧的で身勝手で、弱く、どこか色気もある父の複雑な人物像を立ち上げている。

長子でありながら父に認められず、家督を譲ってもなお穀潰しと言われ続けた清治は、おそらくみすぼらしいと詰られ続けてもきた。子どもたちに厳しかったのも、自分が父から受けた理不尽を愛情だと思ってきたからではないか。珠を縛るものは、清治自身を縛ってきたものでもあった。亡き実母の妹の長男、つまりいとこと珠の縁談を清治が強引にまとめたのも、自分がもう長くないと悟っていたからだろう。花嫁姿の珠を見て人目も憚らず涙を流し、祝いの言葉を伝え、別れを惜しむ近所の人たちに無言で視線をやる顔は、ちょっと羨ましそうにも見えた。祝言のあと、珠が父に感謝を伝えたのは、無力なりに娘を女学校へ通わせ、下の子たちも通わせようとしている愛を感じ取ったからではないか。

とはいえ、結婚が珠の救いになるはずもない。太鼓橋を渡って去っていく家族と、取り残される珠の画が、その心細さを伝える。珠の夫は目も合わせず、夜になると出かけてしまう。支度を手伝おうかと声をかけても「いらん」のひと言で、その言葉が頭の中で何度もリフレインする。そこへ夫の弟でいとこの保(金子大地)が、兄は色町に通っていて、それをやめさせるために親が縁談をまとめたのだと明かす。珠は「やめじゃ!」と言い、挨拶をして飛び出す。目を丸くしながら外まで見送りに出て、ふと笑って「それがええ」と言う保がいい。金子大地の魅力は、誠実さがにじむ姿勢と、繊細で湿り気のある目や佇まいにある。そこにいるだけですでに文学的で、珠との今後のかかわり方が気になる段階だ。珠を覆っていた殻が割れるような、ジャズ風味の軽やかな劇伴にもワクワクした。テイストや入れ方に『カーネーション』を思い出した視聴者も多いのではないか。

珠が逃げた先は、子どもの頃に罰として閉じ込められながら、読み放題の本に「天国じゃ!」と歓喜した実家の蔵である。嫁ぎ先を3日で飛び出した娘を、清治は叱らない。友人に「(清治は珠を)大切にしちょるんかもね。女学校に通わせて縁談も組んで」と言われた珠は驚く。厳しく怖い父の愛情など、考えたこともなかったのだろう。面白いのは忍である。逃げ出した珠を「悪例」として引き合いに出し、父の恥になると説得して、自分の縁談を断ることに成功した。珠に怒っていた忍が、その逃走を自分の自由を勝ち取る材料にしたのだ。

やがて清治の病は進み、床につく清治の前に、自分そっくりの姿が現れて「みすぼらしい」と繰り返す。長年浴びせられた言葉が幻影になったかのようだ。錯乱して包丁を振り回し、往来で暴れた末、止めに入った珠にすがりつくと「死にとうない」と繰り返した清治。最期まで人に迷惑をかけて、父は逝った。幸せだったのだろうかと父の人生に思いを馳せる珠は、葬儀のあと、清々している自分に気づいて「酷い娘じゃ」とつぶやく。リョウは「それでええんよ」と肯定する。

遊んではいけない、ふざけてはいけない、ダメなものはダメ。そう珠たちを縛る存在は、もういない。その後、梅の結婚を聞いた珠は、自分も好きなことをしようと思い、同人誌「黎明」を再開する。「著者」の写真は、4人がそれぞれ好きな格好で撮る。校長に咎められて筆を置いた珠が、今度は書きたいという意思を自分から示す。父の死を経て生まれた、自由に生きていいという思いが、珠を女性としての自立へ、そして物書きの道へと進ませる源になっていく。

好きなときに好きなことを書く。それは、放蕩無頼を気取り、自分を縛るものから逃れようともがき続けた父が、結果として娘に教えたことかもしれない。最期までわからなかった人。見えているものは、きっとその人のほんの一部にすぎない。人の思いを、人そのものを知りたいと珠が考えるようになる、物書きの原点も父にあったのだろう。

文=田幸和歌子


田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。