毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「届かぬ声」について。あなたはどのように観ましたか?
【前回】バーンズ流「教えない教育」の真意。りん(見上愛)と多江(生田絵梨花)が大きな壁を乗り越えた瞬間
※本記事にはネタバレが含まれています。

田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第7週「届かぬ声」から舞台は梅岡女学校附属看護婦養成所を出て、帝都医科大学附属病院での看護実習に移った。
これまで朝ドラは「女性初」の職業を数多く描いてきたが、日本にまだ存在しない概念ごと異国から導入され、地に根づかせていく仕事を描くことは極めて珍しい。今週はその「概念を持ち込む側」と「まだ知らない側」とが現場でぶつかり合う一週だった。
実習初日、バーンズ先生(エマ・ハワード)は学生たちに喝を入れる。自分たち次第で来年以降の実習の存続、ひいてはこの国での看護婦の先行きが決まる、と。先週まで「看護婦を見たことがない、わからない」と涙していたりん(見上愛)たちは、今度は同じことを言う側の医師や看病婦と向き合うことになる。一度学んだ者は、もう知らなかった頃には戻れない。そこに軋轢が生まれる。
病室は埃だらけで空気がよどみ、シーツはぐちゃぐちゃ。背中の苔癬で痒みと痛みを訴え、掻いてばかりの患者・丸山忠蔵(若林時英)には、臭いが強いという理由で適当な処置が施されている。直美(上坂樹里)は患部を水で洗い、清潔にしてから薬を塗ると効き目が違うと説明してみせる。換気をすれば患者にうるさがられ、当初は掃除ばかりに不満を爆発させていた多江(生田絵梨花)も、今では「よどんだ空気じゃ治るものも治らない」と口にする。
学生たちはナイチンゲール方式で学んだ「observe」を実践しようと、患者の体調の変化を誰にでも見えるよう帳面に記録することを決め、看護婦詰め所も清潔に掃除する。それすら、ベテラン看病婦の永田フユ(猫背椿)たちには「生意気」「面倒な仕事を増やすな」と疎まれる。先週バーンズが説明せずに通してきた「清潔・衛生」と「observe」が、養成所の外で初めて抵抗にぶつかる構図だ。
そんな中、りんは担当患者・園部弥一郎(野添義弘)とのコミュニケーションに苦戦する。換気をしても、花を活けても、話しかけてもうるさがられる。患部をしきりにさすっているのが気になり注意すると、「うるさい! 下女風情が黙っておれ!」と怒鳴られる。さらに今井益男教授(古川雄大)を先頭にした総回診では、りんには怒鳴る園部が、教授には「おかげさまで何ともありません」と豹変。患部のことを食い下がるりんに、外科助教授の藤田邦夫(坂口涼太郎)が「思いあがるな。医者は君以上に研さんを積んでいる」と一喝する。元警察署長だったという園部の、教授への低姿勢とりんを「下女」呼ばわりする落差には、男尊女卑の価値観がにじむ。男性医師の言うことには耳を傾け、看護師や女性は下に見る中高年男性の構図は、140年後の現在にも地続きであるように感じられる。
そんなりんに、バーンズは思いがけない言葉をかける。「いい患者に出会いましたね」。弱音を吐かず、学びのある患者と思うべき、と。
やがて、足の手術を受けたばかりの園部の傷口が炎症を起こして出血する。縫合不全だ。手術室には"石炭酸噴霧器"が置かれ、気化した石炭酸が噴霧される。リスター式消毒法を取り入れた当時最先端の感染対策だが、それでも今井による執刀はシャツにネクタイ姿で素手のまま――現代の手術室を知る視聴者には驚きの光景だろう。
本作には看護考証、医事考証、ナイチンゲール考証、キリスト教考証、医事指導、看護指導と、考証・指導が幾重にも配置されている。制作統括の松園武大チーフ・プロデューサー(CP)は筆者の取材に対し、本作では「お医者さんの立場と、当時でいう看護婦さんの立場を明確に分けて描かなければいけないという思いがあって、医事と看護をはっきり分けた」と語っている(Yahoo!ニュースエキスパート・田幸和歌子「朝ドラ『風、薫る』看護編、『努力』ではなく『理論と科学』で職業を立ち上げる」)。当時の医療を大袈裟にも現代寄りにもしすぎない線は、この分業の上に立つ。
手術後、園部の患部をさすっていたというりんの見立ては正しかったとわかる。にもかかわらず、りんは担当を外されてしまう。「患者が嫌がっているから」「患者第一」というのだ。退院していく園部に謝罪するりんに、園部が返したのは「ああ......」というひと言と、目も合わせない背中だけだった。
そして園部の件を悔やみ続けるりんに、バーンズはこう問う。患者が無事に手術を受け、退院した、その何が悔しいのですか――と問い詰めたうえで、こう言うのだ。
「ごうつくばりですね。日本語違いますか? では、欲深い」
「看護は見返りを求めてするものではありません。感謝されて気持ちよくなりたいのは、あなたの身勝手な欲です。たとえ罵られようと、患者が回復すればそれでいいのです。看護とは何か、よく考えなさい」
松園CPは前掲の取材で、本作の看護編は「すべてが完全な解決を見られるわけでもない」と語っていた。「主人公が頑張れば患者は助かる」「真心が通じれば心は開く」という職業ものの定型を退け、看護に伴う不全さまで描く本作の姿勢が、このバーンズの一言に表れている。患者からの感謝を求めることは「欲深い」――職業としての看護を立ち上げる物語に、これほど芯のある叱責はそうない。
それでも救いはある。りんは後に、園部が花瓶の水を、足をひきずって自分でかえていたらしいと聞く。直接の言葉は最後までなかった。だからこそ、せめてもの「届いた」気配としてその水だけが残る。サブタイトル「届かぬ声」が、ここで反転する。
一方、苦労してきたからこそのしたたかさで医師との関係を泳いでみせるのが直美である。丸山の薬を1日3回に増やす提案を、藤田に微笑みかけながら持ちかけると、藤田は思わず話に聞き入り、「うん......1日3回に......」とうなずきかける。我に返って踏みとどまるのも束の間、「今井教授がおっしゃっていて」と教授の名を出された途端にまた気持ちがグラグラ――坂口涼太郎が、見習いには居丈高なのに直美にはからきし弱い藤田の小ささを、滑稽さと愛嬌の同居したかたちで立ち上げる。直美の振る舞いは個人技ではなく、看護婦という新参の職業が現場で生き延びるための技術だ。実際その提案は週の後半で通り、丸山の治療は順調に進み始める。
そして週の終盤、新たな波が押し寄せる。乳がんで入院してきた和泉侯爵家の千佳子(仲間由紀恵)――侯爵夫人である――が、VIP待遇の歓待を受けながらも部屋の眺めも「看病の女中も」気に入らないと不満を述べる。手術も受けずに退院されては病院の沽券にかかわると、院長の多田重太郎(筒井道隆)、今井教授らに呼び出されたりんが担当看護婦に指名される。元士族の娘で、コロリで父を看取った経験があることが、ここで皮肉なかたちで効いてくる。身分差と男女差を浴び続けてきたりんが、今度は「身分のある患者」の前にひとり立たされる。直美を捨てた母の探索も来週以降本格化するという。
「届かぬ声」を、誰の声として、どう届けていくのか。看護がこの国に根づくとは、その「届かなさ」と付き合い続けることでもあるのだろう。
文/田幸和歌子




