【風、薫る】ドラマ『御上先生』『銀河の一票』に共通する主題を感じた第10週。本作が肯定するそれぞれの「強さ」

毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「それぞれの『勁草』」について。あなたはどのように観ましたか?

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※本記事にはネタバレが含まれています。

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田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第10週「疾風に勁草(けいそう)を」は、激しい風が吹いて初めて折れずに立つ強い草が見分けられる、という「疾風に勁草を知る」に由来する。第10週は、看護が背負う「救えなさ」と、女郎差別という社会の仕組み――二つの疾風が、登場人物それぞれの「勁草」を浮かび上がらせる一週となった。

週の前半を覆うのは、ゆき(中井友望)とトメ(原嶋凛)が担当する患者・小野田(宮地雅子)の死だ。意識が混濁したまま目覚めた小野田が遠方の娘の名を呼ぶと、トメはとっさに娘のフリで応じ、ゆきは娘の友人を装う。寝ずに付き添ったその翌朝、小野田は「ゆきさん、娘を......」と言い残して息を引き取った。

第7週でバーンズ(エマ・ハワード)は、患者に報われず悔やむりんに「看護は見返りを求めてするものではありません」と説いた。第10週はその先――どれほど尽くしても患者を「助けられない」現実を、見習いたちに突きつける。ゆきはその後、食事ものどを通らず、3日間、実習を休んで床に伏せる。

布団を乱暴にはいで「今からここで授業をします」と現れたバーンズは、ゆきに理由を問う。「耐えられないからです。小野田さんがいなくなったことが」と泣くゆきに、「いなくなったのではありません。心臓の病で亡くなったのです」と退かない。やがてゆきは打ち明ける。いつ逝くかわからない人を看護する怖さ、「いい人」だった小野田を失った痛み。看護は助けるだけでなく見送る仕事で、何もできず見送るほうが多いと思い知った、と。バーンズの「いい人でなければ死んでもいいのですか」は、この仕事の前提を鋭く突く。

同じ患者を看取ったトメに、バーンズはあえて英語で言う。おもてに出さないだけで、つらくないわけではない。耐えることと、つらいと思うことは別だ、と。促されたトメが語るのは、一番上の兄を労咳で亡くした過去だ。懸命に看病したのに助けられず、「悔しくて悔しくて、敵をとってやろうと思って」看護婦を目指した、と。かつて医師を志した多江(生田絵梨花)は、その動機を「志が違う」と見下したことを悔いる。だが当のトメは「敵討ちは志高くもねえ、病気さ、逆恨みだ」と笑い飛ばす。その自嘲が「逆恨み」と呼ぶものの底にあるのは、懸命に看ても助けられなかった肉親への、行き場のない悲しみだ。

看護の道に入る理由は、高邁な使命感ばかりではない。悲しみ、悔しさ、生活のため――人それぞれだ。10年のキャリアを持つ看病婦・永田フユ(猫背椿)が漏らす「毎日誰かしら死んでいく、逃げられないなら逃げたほうが良い。でなきゃ辛いだけ」も、現場を知る者の現実的な助言だ。志の高さだけで、人は測れない。

そして、ゆきの選択である。特別授業を経て実習に戻る――と思いきや、ゆきは看護婦になるのをやめると告げる。「覚悟が決まったのかと思った」と言われ、ゆきは迷いなく返す。「私は、看護婦にならないという覚悟を決めました」。自分は人の生き死にに関わる仕事ができる人間ではない。「私自身のため、何より患者さんのため、看護婦にならないのが誠実だと」。そう言い残して去る。

「疾風に勁草を」――死という疾風に吹かれて、ゆきは折れたのか。そうではない。続けることだけが「勁草」なのではなく、自分に向かない道を見極め、誠実に退く決断もまた、芯の強さだ。職業が人を選別するのではなく、人が職業を選び直す。本作は、その自由を肯定する。

対照的に、「看護」のなかで芯を育てていくのが直美(上坂樹里)だ。退院する丸山忠蔵(若林時英)は、担当の直美ではなく「優しい」りん(見上愛)に告白するが断られ、落胆する。だが休日の直美は、身寄りなく行き場のない丸山を教会へ連れていく。吉江(原田泰造)はかつて直美が暮らした長屋を世話し、大家の嘉平(春海四方)も丸山を受け入れる。

困った丸山に手を差し伸べた直美に、吉江は言う。「直美さん、看護婦向いていそうですね。息をするのが楽そうに見えます、以前よりも」「仲間ができたからかもしれませんね」。「寂しくなくなっただけかも」と笑う直美に、「寂しいと言えるようになったんですね」と返すと、直美は「はい」とうなずく。境遇を呪い、人を信用しなかった彼女の心が、ほどけはじめている。丸山ひとりをめぐって、教会へ連れた直美も、長屋を世話した吉江も、家賃の払えない丸山を受け入れ、家賃がわりに置いていかれた野菜を教会の炊き出しに回した大家も、めいめいが自分にできることで、誰か――ひいては社会のために手を動かしている。

実習開始から4カ月、りんと直美は内科に配属される。「のんびりやって」という木村文平教授(前野朋哉)の言葉も束の間、ヒ素による服毒心中とみられる男女が運び込まれる。男性は学生、女性は女郎だった。ここで第10週は、もう一つの疾風――女郎差別の過酷な現実に踏み込む。

医師は「女郎は後だ」と言い放ち、女郎を後回しにする。男は助からず、一命をとりとめた夕凪(村上穂乃佳)は、目を覚ますなり言う。「どうして助けた? 余計なことを......また地獄に戻んなきゃならない。だったら死んだほうがましだ」。担当となった直美は、夕凪が錦栄楼の女郎で、客の男に無理やり毒を飲まされたと知る。

夕凪を連れ戻そうと錦栄楼の主人・権田(梅垣義明)が乗り込んでくる。機転をきかせたのは、口も態度も荒く見習いたちとよく揉める看病婦・須永ヨシ(明星真由美)だ。遊郭のやり手婆だった過去を持ち、女郎の地獄を知るヨシは、脚を傷めた夕凪を早く戻すためにもトレインドナースが手厚く看護すると説き、権田を帰らせる。

そして、りんと直美は夕凪を逃がそうと考える。「甘い」と笑う夕凪に、直美は明かす。自分もまた、年季が明ける前に逃げた女郎から生まれ、捨てられたみなしごなのだ、と。直美が探し続ける実母とは別人ながら、夕凪が囚われた地獄は、直美を産み落とした女の地獄と地続きだ。女郎の苦界は一人の身に閉じず、女から女へ、親から子へと連なっていく。

りんは体調不良を装って早退し、かつて自分を救ってくれた卯三郎(坂東彌十郎)に相談する。だが卯三郎の答えは厳しい。「その女郎一人逃がしても、社会の仕組みは変わらない」。りんは「目の前で困っている人がいたら、手を差し出したい」と訴える。女郎が来るたび同じことをするのか、と問う卯三郎に、りんはかつて自分が救われた経験を持ち出す。商いの力で社会を心地よくしたいという卯三郎は、しかし最後に廃娼運動の記事を教える。彼らの協力で夕凪を廃業させられたら、その女郎にも社会にもリターンがある、と。

りんもまた、目の前の夕凪に手を伸ばそうとした。「目の前の一人を救う」ことと「社会の仕組みを変える」ことは、しばしば対立するように語られる。だが、一人逃がしても仕組みは変わらないと突き放しつつ、廃娼運動の存在をヒントに残した卯三郎が示すように、夕凪ひとりを救おうとする手は、女郎という制度そのものを問う動きへとつながりうる。個人的なことは、政治的なことでもある。

この主題は、近年のドラマがくり返し描いてきたものでもある。2025年に放送された『御上先生』(TBS)は「パーソナル・イズ・ポリティカル」を掲げ、個人の生きづらさを、政治が引き受けるべき問題として捉え直した。放送中の『銀河の一票』(カンテレ・フジテレビ系)が拠り所とする宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」も、社会全体の幸福と目の前の一人の幸福が切り離せないと告げる。明治を舞台に、夕凪ひとりへ手を伸ばすことと、女郎という制度を問うことを一体のものとして描く本作も、その延長線上にある。

第10週『風、薫る』は、看護婦が背負うものを描くと同時に、この物語があらゆる差別の歴史の上に立つことを感じさせた。「女郎のくせに」と踏みつける視線も、「死んだほうがまし」と言わせる仕組みも、いまの社会と無縁ではない。疾風が吹いて、勁草が見える。折れない強さも、自分を知って退く誠実さも、荒んだ過去を盾に変える機転も、目の前の一人に手を伸ばす意志も――第10週が描いたのは、形のちがう幾つもの「勁草」だった。そして、その一歩は、確かに社会へと通じている。

文/田幸和歌子

 

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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