毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなどさまざまな感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「新朝ドラ」について。あなたはどのように観ましたか?


朝ドラにとって、はじめましての第1週は、作り手も演じ手も、受け取る視聴者もみんな緊張する。今度の作品はどうか、自分の好みに合うか。できれば半年間、毎朝が楽しみになる存在であってほしい。そんな思いで見守る中、作家・宇野千代をモデルに、櫻井剛・小松與志子が脚本を手がけ、石橋静河が主演する連続テレビ小説『ブラッサム』は、9月28日の初回から強いつかみを見せた。

物語は昭和57年、主人公・葉野珠の晩年の姿から始まる。演じるのは加賀まりこ。実在の宇野千代の晩年そっくりの姿は、事前の公式写真では見せていなかったものだ。珠に声をかける秘書役の松たか子も同様である。80代でも毎日書かずにはおれない珠が書いているのは、「幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っている」という宇野千代自身の文章の一節だ。里帰りした晩年の珠は、「今のご気分は?」と聞かれて「最高でーす!」と答える。冒頭からつかみは強い。時間が明治41年の岩国にさかのぼると、近所のおばさんとしてBK(NHK大阪放送局)制作の朝ドラ常連、楠見薫が登場する。「ああ、BKの世界に戻ってきた」と、関西人でもないのに安心してしまう。

第1週のタイトルは「私の父、私の母」。明治41年の岩国で、10歳の珠はまだ赤ちゃんの妹を背負い、弟の手を引いて駆け回っている。実母は2歳のときに亡くなり、今は継母のリョウ(国仲涼子)がいる。父の清治(渡部篤郎)は、酒蔵の長男に生まれながら家督を足の悪い弟に譲り、毎月お金をもらって暮らす人だ。親族に働けと言われても、意地でも働かない。家では遊ぶなと子どもたちに言いつけ、雨の日に裸足でカナリアのエサを買いに行かせる。そんなクズ父のもとで厳しくしごかれているのに、幼少期の珠を演じる村上蘭には悲壮感がなく、萎縮してもいない。イキイキとした強い目が魅力的な子で、桜の中を石橋静河が踊る、弾むように明るく軽快なオープニングとともに、朝の始まりにふさわしい。

そんな父について書く作文の宿題が出て、珠は困る。背中を押したのは、リョウの「そのまま書いてみたら? 正直に」の一言だった。作文が得意な珠だが、お題がお題だけになかなか書けず、あるとき夜寝ずに書き上げる。

圧巻は第4話の授業参観である。よりによって珠が父について書いた作文を発表する番になったとき、遅刻した清治が、悪びれる様子もなく堂々と入ってくる。よく叱る父を珠は理不尽に感じていたこと、仕事らしい仕事をしたことのない父が周りから「放蕩無頼」と言われていることを、珠は読み上げた後、でも、と続ける。

「ある夜、厠に向かうときのことです。父は一人縁側に座り、カナリアをじっと見ていました」

月に照らされた父は、笑っているようにも、どこか物悲しくも見えたという。そして、こう締めくくる。

「そこに、放蕩無頼の徒は見当たりませんでした」

名文である。しかも、書き手の珠は10歳だ。恨み言ではなく、夜の縁側で見てしまった父の意外な姿を、そこから受け取った父の心情に思いを馳せて書く。叱られた記憶ではなく父の孤独を見ていた目が、周囲の評判をひっくり返してしまう一文になった。清治は大きな声で笑って手を叩き、「こがあなん書いて……お前、変わっちょるのぉ」と珠の頭をなでる。初めて見る笑顔だ。はしゃいだ様子で、珠の作文をご近所に見せて歩くほどである。

それだけに、リョウがカナリアを逃がしてしまった後の清治がつらい。空のカゴを抱えて探し回り、パニックになった末にカゴを叩きつける。

ここで効いてくるのが、奥行きのある映像である。どこにいても清治の目が届く、息苦しく窮屈で重く暗い室内。外には庭と大きな空が広がり、その境に縁側がある。清治は仕事をせずに「自由に生きる」と口にするが、そこに解放感はない。長男に生まれながら居場所を弟に譲ったために寄る辺なく、かといって自ら外へ出ることもできない。不安と孤独と不自由さが、家そのものに表れている。どんなに「放蕩無頼」を気取っても、家父長制という時代と社会の縛りから、清治は根本的に逃れられていない。そんな自分をカナリアに重ね合わせ、外への憧れを抱きながら縁側で愛でていたのだろう。珠は父の事情を知らなくても、その心情を察している。単に主人公の前に立ちはだかる壁になる役割だけの父ではなく、そこに至る背景と人生があるクズ父として描かれているのは、良作の証だ。

珠が後に物書きとして大成する才能の説得力もある。あるとき、お仕置きとして蔵に閉じ込められた珠。しかし彼女は新聞や雑誌、活劇、大人の愛や恋など、読んだら怒られるものが読み放題の蔵を「天国じゃ!」と感じる感性を持つ。働かない父の背中と、本の世界の広さ。どちらも珠の中で、後の書き手の目と想像力を育てていく。

もう一つ、呼び方の問題がある。リョウは他の子を呼び捨てにするのに、珠だけを「珠様」と呼ぶ。第4話のラスト、リョウは自分の子だけを連れて実家に帰ってしまう。父からそれを聞かされた珠は動揺し、リョウの実家を訪ねるが、戸は閉ざされたまま。リョウの両親が、実の娘ではない珠のために戻ることはないと引き止める中、珠は戸越しに自分の思いを語る。特別扱いの裏で、いざというときには実子でない自分は切り捨てられるのではないかという不安を、珠は抱えていたのだ。追ってきたリョウは珠を抱きしめ、これからは他の子と同じく珠と呼ぶと言う。珠は、これまでどおりがいいと答える。父に厳しくされ、クズ父を周囲にけなされ、可哀想と言われ、過酷なことも多いけれど、そんな父すら珠は嫌じゃない。父も、特別に大事にしてくれる母も、弟たちも、珠にはかけがえのない唯一の居場所であり、どこも変える必要がない。まさに「最高でーす!」なのだ(晩年の宇野千代は、「今の気分は?」「最高です」と毎日のように口にしていたという。入院していたときですらそうだったと、『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 ブラッサム Part1』の制作者メッセージでチーフ演出の盆子原誠が書いている)。

呼び捨てでなく「様」呼びの継母と珠をつないでいるのは、手だ。リョウが珠を「絶対大事に、特別大事にせんといけん思うた」のは、初めて会ったとき、まだ幼い珠が自分の手を握ってきたからだった。リョウを追った珠もまた、その手を握る。リョウは珠と他の子たちを連れて家に戻り、母を許してくれと必死に清治へ食い下がる珠の手を、今度は強く握って守ろうとする。置き去りにされた珠を嘲笑った清治もまた、切り捨てられる側として怯えていたのではないか。

なぜ父は意地でも働かないのか。なぜリョウは珠だけを「様」と呼ぶのか。その説明を聞いてなお寂しさや不安を抱いた珠が、なぜ今まで通り「珠様」を選ぶのか。本作はそれを決してセリフで、言葉で語らない。良い朝ドラ、良いドラマとは、そういうものだ。

文=田幸和歌子



田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。