毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなどさまざまな感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「看護とは何か」について。あなたはどのように観ましたか?



田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』が、第26週「道標(みちしるべ)」で完結した。りん(見上愛)と直美(上坂樹里)が看護婦養成所を開き、「看護とは何か」という問いと向き合いながら、その答えを実用書という形にまとめて次の世代へ手渡す最終週。二人は最後まで、この問いに「わからない」と答え続けた。

この作品の縦軸は、地方から東京へ出てきた貧しい女性が、看護という技術を身につけて生きていく物語だった。自己犠牲の精神がなくとも女が働ける仕事として看護婦を広めたいというりんの願いは、最終週、柳生(中村倫也)に実習を見に来てほしいと頼む場面で結実する。かつて柳生が口にした「多少の犠牲は仕方ない」という言葉の、その多少の実態を、身をもって伝えようとしたのだ。

看護が「資格」として国に線引きされていく過程で、その線の外に落ちる人はシリーズを通じて繰り返し描かれてきた。読み書きが追いつかず一度は解雇されたツヤ(東野絢香)は11年かけて独学し、それでも免状の壁に阻まれた。派出看護婦会が乱立し、玉石混交のまま金だけが回っていく構造も描かれた。それでも、りんと直美は線の外に落ちた人を拾い上げることをやめなかった。看護婦養成所を開き、ツヤを教え、実習の費用は働けるようになってから給金より引くという形をつくる。最終週、ツヤは試験に合格する。

脚本の吉澤智子は取材で、劇中の明治という時代を、人が自分の人生を選べるようになった一方で、自己責任がゆえに弱い立場の人にはきびしい時代でもあったと語っている(『見上愛&上坂樹里 meets NHK連続テレビ小説 風、薫る』宝島社)。りんたちが自己犠牲の精神を看護から切り離そうとしたのと同じように、寛太(藤原季節)もまた、自己犠牲とは無縁の生き方を貫いてきた人物だ。稼げる場所を求めて渡り歩き、出会うたびに名前を変えてきた寛太は、誰かのために自分を差し出すことを選ばなかった。「生き延びてやるよ、俺は」と言い切った彼が最後まで手放さなかったのは、自分が生きることへの誠実さだった。看護には需要があると繰り返し口にしてきたように、その誠実さは、他人が生きる道を探ることにもつながっていた。最終週、直美に「あんたのことはわかんない」「わかんないけど……元気でね」と告げられた寛太は、一緒に行くかと問うた一瞬だけ嘘のない表情を見せるが、すぐにいつもの金の話に戻す。本当の苗字を「小日向だよ」とだけ明かし、出会ったときに名乗っていた詐欺師の名で去っていく。一瞬だけのぞいた素顔と、最後まで貫いた身の処し方。そのどちらも寛太だった。

りんと結ばれなかった者同士として、最終週に笑い合うシマケン(佐野晶哉)と虎太郎(小林虎之介)も対照的だ。貧しい家の出で学がないことにコンプレックスを抱いていた虎太郎は、戦争によって努力ではどうにもならないものがあるという絶望を知った。次男として自由に夢を追ってきたシマケンは、兄の失踪で家族から自分が必要とされたことで、小説家という夢を追い続けなければというプレッシャーから解放された。何かを失い、諦めたことで、二人はようやく対等に笑い合えるようになった。

看護とは何か。この問いに、りんは「今そこにあるもの」「患者が困っていて看護婦が必要だと思うならそれは看護」という答えにたどり着く。しかし、その場にいなければわからない。直美もまた、わからないものはわからないままが誠実なのだと頷き、立場の違いからわかり合えなかった柳生に「わからないところはわからないままで大事にしていきたいんです、このご縁」と伝える。理解し合えないことを切り捨てず、それぞれの立場からできることをする。共感ばかりを求める世界では、いないことにされ、透明化されて見捨てられる者も出てくるはずだ。これは看護に限らず、どの分野にも通じる話だろう。

時が流れ、二人が仕上げたのは、看護の技術のすべてが詰まった辞書のような一冊だった。りんと直美が養成所で育てられるのは、目の前にいる人だけ。だが本さえあれば、どこにいる誰であっても、それを読んで目の前の人を助けられる。養成所が人を育てる場所なら、本は、たまたまその場に居合わせただけの人にも看護への道を開く一冊だった。

本の出版祝いには多江(生田絵梨花)も駆けつける。婦長になった多江は、看護婦の賃上げを実現していた。国の制度をつくる柳生、看護婦を育てて道を切り拓くりんと直美、現場の待遇を底上げする多江。三者はそれぞれ別の立場から、同じ方向を見ている。

それでもなお、看護の担い手をめぐる課題は現在に残る。厚生労働省が2019年に公表した推計では、2025年時点で看護職員が6万人から最大27万人不足する可能性があるとされ、都市部を中心に地域や分野による偏在も指摘されていた。

かつて、女性向け双六は、嫁いで「奥様」になることをゴールに描くのが定番だった。しかし、りんも直美も、一度は結婚したものの、それぞれ別の事情を経てシングルになった。二人は今、看護のバディとして、家族として、共に生きている。最終週、一ノ瀬家で遊ばれる双六もまた、時代とともにゴールを「一家団欒」に変え、駒には「看護婦」が加わっていた。りん自身の変化と、双六という遊びの中の小さな道具立ての変化が重なる。りんと直美は、その双六を見て顔を見合わせて笑う。

最終回、縁側で語り合う二人のもとに真風(研ナオコ)が現れ、「二人がおこした風はこの先遠くまで吹き続けるよ」と言う。そこへ日比谷のデモで怪我人が出ているという知らせが届き、派出看護に向かう二人の姿から、画面はそのまま現代の看護の場面へと切り替わる。「道標」という最終週のタイトルどおり、りんと直美は誰かに答えを示すのではなく、自分たちも「わからない」まま歩き続けることを選んだ。その先を受け取る番が、今度はこちら側に回ってきている。

文=田幸和歌子




田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。