毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「りんとシマケンの別れ」について。あなたはどのように観ましたか?



田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第21週「定めと選択」は、りん(見上愛)とシマケン(佐野晶哉)が別れる一週だ。物語の谷間の恋愛週かと思いきや、軸にあるのは「家」と出自の縛りである。そこに治らない病が重なる。選べないものを前にして人は何を選べるのか、という週だ。

恵風看護婦会に木村(前野朋哉)が持ち込んだのは、家での看護を望む患者の話だった。男爵家夫人の宮川佳枝(相田翔子)で、ロイマチス(リウマチ)を患っている。引き受けた直美(上坂樹里)は、りんを看板看護婦に立てると決める。裕福な患者に信用してもらうためだ。払える人が増えなければ、お金のない患者に看護を届けられない。

第18週で捨松(多部未華子)が教えた、払える人から受け取り払えない人からは取らないという仕組みが、ここで動き出す。史実でも、直美のモチーフである鈴木雅が1891(明治24)年に開いた慈善看護婦会は、貧しい病人からは代金を取らなかった(日本看護歴史学会)。りんが看板に選ばれるのは、元家老の娘という出自があるからだ。りん自身がそれを持ち出したわけではなく、看護を代金の取れる仕事にするための直美の算段である。

佳枝のロイマチスは、今も女性に多い病だ。当時、治す手立てはない。薬で炎症を抑えられるようになるのは20世紀後半以降で、痛み止めのサリチル酸は胃への負担が重く、それを改良したアスピリンが売り出されるのもまだ先である。佳枝は言う。治らないけど辛い日か、治らないけど心地良い日か、そのどちらかなのだと。りんの手は心地良い、これからもずっとお願いできるか、と。治るという選択肢がない人にとって、辛い日と心地良い日の差をつくるのが看護である。第17週で藤田(坂口涼太郎)が言い置いた、治らない患者にも日々看護は必要だという言葉が、ここで形になる。

同じころ、しのぶ(木越明)が妊娠のため派出看護を離れる。忙しくなってきて言えなかった、迷惑をかけてごめんなさい、と詫びるしのぶに、直美は、妊娠を迷惑なんて言うもんじゃないとバーンズ先生なら言うはずだと返す。直美の言うとおりだ。ただ、しのぶが抜けた分の手は誰かが埋めるしかない。厚生労働省の研究班の推計では、資格を持ちながら働いていない65歳未満の看護職員は約69万人。その割合は25歳未満の2割台に対し、30代前半では3割半ばに上がる。いまでも抜けた人が戻れる設計になっていないことを、この数字は示している。

一方、男たちは次々に夢を下ろしていく。太一(林裕太)は小説をやめ、出版社の社員になると決める。自分で決められてすごいと言うシマケンに、すごいのはお前のほうだ、怖くなっただけだと返す。ごめんな、お前を置いて俺は幸せな凡人になる、と。そしてシマケンは、初めて自分の小説を太一に読ませる。競う相手でなくなって、ようやく渡せた原稿である。

りんとシマケンが並んでいるところへ虎太郎(小林虎之介)が現れ、シマケンを飲みに連れ出す。夢を追う相手に、自分は夢など考えたこともない、仕事は好きでも嫌いでもない、学がないからと自嘲してみせる。東京で必死に働いてきたのは、いつかりんの隣に立つためだった。その先を虎太郎は言わない。りんさんはたくましいですよね、とシマケンが言うと、ふざけんなと笑って軽く拳をあてる。いっそりんに養われて平気なクズだったら俺も笑えるのに、と言う虎太郎に、シマケンは「笑えない」と答える。返ってきたのは「じゃあ努力しろ、血反吐吐くまで努力しろ」だった。自分が立てなかった場所に立つ男に、虎太郎はそう言うしかない。

そのシマケンの小説が、新聞連載に決まる。だが義姉が訪ねてきて、兄が事業の投資に失敗して借金をつくり、姿を消したと告げる。連載は広告主の親族の作家に差し替えられる。運がなかったということかと食い下がるシマケンに、編集長の綿貫(小松和重)は頭を下げてから言う。「運でも努力でもない、強さがないんだよ、君の書くものには」。純粋で美しいが、どうしようもなく強さがない、と。シマケンはそれを受け取る。「強さ……つまり僕には、才能がないってことですね」

太一もシマケンも次男で、好きなことをしていられた。ただ、下ろし方は違う。太一は誰に迫られたわけでもなく、怖くなったからと自分で降りた。シマケンのほうは、兄が家を投げ出したことで自由の前提が消える。次男の自由は、長男が家を担っているあいだだけのものだった。元足軽の家の長男である虎太郎には、下ろすべき夢が初めからない。

直美が無償で通うのが、長屋の遠藤平蔵(太田光)である。転んで頭を打った、片足が動かないという。どうしてタダなんだと問う遠藤に、直美は、医療や看護を受けられない弱い人、困った人にこそ手を差し伸べたいと答える。遠藤は反論する。体をこわして働けない、でも自分は弱い人間じゃないと思っている、こんな場所で生きていけるんだから案外強いんじゃないか、と。支援を弱い人のためと説明した瞬間、受け取ることが弱さの証明になってしまう。

シマケンは浜松の実家に帰ると決め、りんに一緒に来てほしいと言う。りんは考える時間がほしいと答える。恵風会はしのぶが抜けたばかりで、家族のこともある。手を離したのはシマケンのほうだった。僕たちは一緒に生きていくべきではない、りんさんにはりんさんのやるべきことがある、と。それでも一緒にいたいとりんが手を握ると、シマケンはその手を握り返し、りんさんの手は大勢の人のために働く素敵な手だと言って、そのまま下ろす。りんさん、さよなら。

シマケンの様子を案じた直美は、今日1日の派出看護という名目でりんを行かせようとする。だが道中で急病人に行き合い、りんが看護しているあいだに、シマケンは姿を消していた。もういい、とりんは言う。わかったから。この手は患者さんに使いたいんだって。直美がその手を握る。「好き、私はこの手が好き」。第15週で動かなくなり、第19週で光がさした手の使い道を、りん自身がここで決めた。恋を諦めた場面ではなく、手の行き先を選んだ場面である。

物語は2年後へ飛ぶ。恵風会に虎太郎が挨拶に来る。朝鮮へ渡り、内地から届く薬を納める仕事をするという。戦場で薬が要るようになるからだ。心配するりんに、そんなに心配してくれるんだ、と笑ってみせる。外国との戦争はみんな初めてだ、やったことのない仕事をする者が重宝がられるのはりんもよく知っているだろう、と。どうしてそんなに上に上がろうとするのかと問われれば、ツテも学もない自分が努力だけでどこまで行けるのか試したいのだと答える。

だが、りんは上を目指してここまで来たのではない。生きるために働き、目の前で困っている人に手を伸ばした結果として、看板看護婦と呼ばれるようになった。虎太郎が見ているのは仕事の中身ではなく、上がることそのものだ。りんの隣に立つという目当てを下ろしたあと、それだけが残った。

多江(生田絵梨花)は広島の陸軍の病院へ行くことになった。看護婦取締である自分が先に入れば、後に続く者が来やすくなる、と多江は言う。日清戦争では実際に、広島の陸軍予備病院へ日本赤十字社の看護婦が送られた。従軍した看護婦はのちに勲章を受け、日本人の民間女性で初めての受章者となる(国立公文書館)。先に入れば後が続くという多江の見立ては、そのとおりになる。ただし、看護婦という仕事の地位を押し上げたのは戦争だった。

遠藤の家に通ううち、直美は、命を奪う軍人と命を助ける看護婦で夫婦が逆ではないかと言われる。生きていくために軍人と看護婦をそれぞれ選んだ似た者同士だと直美は説明し、夫は軍人だから料理ができる、ただし軍人だからといって台所に立つ旦那さんはあの人くらいだろう、と付け加える。生き残りたいなら手柄など立てずじっとしているほうがいい、と遠藤は返す。遠藤自身、戦争で傷を負った身であることがわかる。手柄を立てた先に何があるかを、この男は知っている。

帰宅すると、その夫の吾郎(甲斐翔真)が鼻歌まじりに台所に立っている。出征したら炊事班長をやりたい、と無邪気に言う。お国のためにという言葉を直美が否定すると、吾郎はそれをたしなめる。親も家もお金もなかった直美が、看護婦に理解のある夫を得て手にした暮らしである。その夫は、出征を当然のものとして語る。

男たちは夢を下ろし、りんは手の使い道を自分で決めた。多江も虎太郎も、自分の意志で戦争のほうへ歩いていく。一方の長屋には、前の戦争で傷を負った男がいる。




文/田幸和歌子

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。