【風、薫る】「怖くていいんです」本作が描く「恐れの扱い方」と、中村倫也の登場がもたらすもの
毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「恐れの扱い方」について。あなたはどのように観ましたか?
田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第19週「黎明の翼」は、りん(見上愛)が赤痢の流行する村へ入る一週だ。第15週でりんの手が動かなくなったのは、目の前の患者の願いに手を伸ばしたことが大きな事件になり、人の命に触れるのが怖くなったからだった。その手を戻すのも、やはり目の前で困っている人に手を伸ばすことである。
女学校の寮に黒川(平埜生成)が訪ねてくる。近くの村で赤痢が出て、1週間ほど前からすでに死者もいる。この町に看護婦は君しかいないと請われても、りんは「すみません、できません」と断る。だが、養成所で看護教師バーンズ(エマ・ハワード)に言われた言葉がよみがえる。「あなたたちの手は家族の数百、数千倍の人を助ける手なんです」「あなたが看護婦になれば、家族を失いあなたと同じ思いをする人を減らすことができます」。父をコロリで亡くした彼女に、その言葉がいま返ってくる。行かせてほしいと願い出たりんに、校長の望月(関智一)はいったん拒みつつ、「はええ夏休みを認めます。その間どこで何をしてるかは私の関知することじゃありません」と目をつぶってみせる。
村でまず起きているのは、隠すことだ。太助(板橋駿谷)は妻アサ(美山加恋)の発症を2日前から伏せている。避病院を勧められても拒む。うちから出たと知れたら爪弾きにされて大変だ、と。恐れているのは病そのものではなく、村の目である。
太助の反応は作劇の都合ではない。舞台は新潟だが、同じ構図は各地の記録に残っている。『愛媛県史 社会経済6 社会』によれば、明治16年に赤痢が大流行した際、愛媛県当局が挙げた原因は、医師にかからず売薬などで済ませること、隠蔽が多いため消毒法が徹底しないこと、便所の構造が悪いことだった。この時期、死者は患者のおよそ2割から3割にのぼっている。
その「便所の構造」が、週の中盤で正面から描かれる。りんたちが鍬をかついで村へ向かうと、どうせ墓穴でも掘るんだろ、医者は出てけ、と浴びせられる。これはみなさんが生きるための鍬で、いちばん大事な穴、お手洗いの穴を掘るのだとりんは説くが、聞き入れられない。搬入の際にも石を投げられる。取材に来た新聞記者の横沢(井上祐貴)には、黒川が、伝染病を防ぐには毎日出る大量の排泄物を処理して清潔を保つことが肝要で、これが医療だと説明する。上下水道の整備を待つ前の時代、医療とは薬でも手術でもなく穴を掘ることだった。
りんが避病院で最初にするのも、戸を開けて換気をすることである。清潔な場所とそうでない場所を分け、詰所を置き、消毒液の作り方を教え、使った布を燃やす。看護が心構えではなく手順であることが示される。
運び込まれた患者は25人。医者たちの多くは気づいたらいなくなっていたという。筵をめくると、廊下に寝かされた男がいる。柳生(中村倫也)だ。東京から来た、こいつが持ち込んだ、と責められている。医院内へ移ろうと促す直美(上坂樹里)に、柳生はここがいいんだ放っておいてくれと返す。直美は「放っておきません」と告げ、村人たちに向き直る。この人のせいにして安心したいのかもしれないが、医院内での差別は決して認めない、と。
犯人探しと排除は、村人に限った反応ではない。同じ愛媛の記録には、明治18年の流行時、徳島を視察した内務省衛生局の課長が、四国遍路が蔓延の媒介になっていると語った証言が残る。遍路のための木賃宿は不潔を極めており、巡礼が病を持ち込んだのだろう、と。よそ者を感染源と名指しする発想は、行政の側にもあった。
そして、明治の話でもない。日本看護協会が2020年に看護職員約3万8000人を対象に行った調査では、新型コロナをめぐって差別や偏見を受けたと答えた人が20.5%にのぼった。家族や親族が心ない言葉を言われたという回答は27.6%で、本人が受けた割合を上回っている。
もう一つの軸は、恐れの扱い方だ。やってもやっても終わらないと漏らす看病婦に、りんは言う。「怖くていいんです。怖がらないと伝染してしまう」。病室を清潔にするのは自分たちが伝染しないためでもある、だからちゃんと怖がって看護しましょう、と。直美も、バーンズの教え通りにやってはいるがこんな大勢の伝染病患者は初めてで怖い、とこぼす。第18週でりんは、手が震えるのは人の命に触れるのが怖いからだと明かしていた。恐れは克服すべき弱さではなく、感染対策の一部として組み込まれる。震える手のままりんが村に立てるのも、そのためだ。
長太郎(渋谷そらじ)が避病院の外から母を呼ぶ場面が、この週の山になる。「おっかあ! おら待ってっから! おっかあの好きなあんころ餅もあるから戻ってこいて!」。りんは、コロリのとき自分を家から締め出した父を思い出す。伝染を防ぐ手立てを知らない父には、遠ざけることしかできなかった。りんはその手立てを知っている。だから、隔てたうえで声だけを通せる。会えないまま容態が悪化する患者と、外で待つ家族。コロナ禍の面会制限を思い出す人は多いだろう。アサはそこから回復に向かう。
直美が村を回り、締め切った家々に外から声をかけるくだりが、その裏返しだ。手が足りない、調理をする人も道具も足りない。だが直美が持ち出したのは、人手の不足ではなかった。この病気は人と会えない、家族と会えない、話せない、会うかわりに話すかわりにごはんを作ってくれませんか、きっと皆さんのお味噌汁を飲んだら家に帰ろうって元気が出るはずなんです、と。戸が開き、女性たちが台所に立つ。外から叫ぶ声と、鍋から運ばれる味噌汁は同じものである。
1カ月後、軽症者はみな退院する。柳生は内務省衛生局の役人で、現地調査に来てたまたま発病したのだと明かす。廊下に追いやられていた当人が、その衛生局の人間だった。死亡率を1割に抑えられた目覚ましい事例だったと上に報告しておく、と言い残す。先の2割から3割と並べれば、この1割の重さがわかる。りんのモチーフである大関和も、赤痢の避病院で100人前後を集団看護し、死者を数名にとどめたことを誇りにしていた(NHK「ステラnet」)。
柳生を演じる中村倫也の出番は長くない。病に倒れて痩せこけていた姿から、回復した途端に有能な官僚の顔になる。この落差だけで役の来歴が伝わる。直美が東京で派出看護をしていると名乗ると、「道理で。俺は運が良かったな。ただ、患者を怒鳴るのはやめたほうがいい」と笑い、頭を下げて去っていく。この縁が、のちの派出看護を助けるのだろう。
黒川はりんに申し出る。1年だけうちで働かないか、月12円出す、住む家も用意する、その1年でできるだけ看護婦を育ててほしい、と。『値段史年表 明治・大正・昭和』(朝日新聞社)によれば、1891(明治24)年の巡査の初任給は月8円である。12円は破格だ。看護を報酬のある仕事にするという第18週の主題に、黒川は金額で答えた。直美も、その1年で看護婦会を立て直すと約束する。大関和が知命堂病院の初代看護婦長として看護婦や産婆の養成にあたるのも、この1891年である。
校長に辞めると伝えると、望月はちょうどいい、辞めてもらおうと思っていたと返す。きれいごとを言い、挙句に赤痢の看護へ行った、しかし新聞記事ひとつで世間の反応はころりと変わった、世間はいい加減だ、と。前週、目立つな、騒ぎを起こすおなごにいい縁談はこないと言った男が、考えを変える気はないと前置きしたうえで続ける。人とは違う道を行く人を邪魔しねえで応援できる人になれと指導します、と。変わったのは世間ではなく、それを見ていた一人の態度だ。その差は小さくない。
伝染病がおさまり、りんは自分の手を見る。そこに光がさす。直美がその手を握り、二人は「やったね!」と笑う。ずっと患者に触れるのが怖かった、でもアサに手を握られたとき、その手があたたかくて、生きてるんだなって嬉しくなった、とりんは言う。そして、直美と看護婦としてもう一度働きたいと申し出る。手を引っ込めさせたのも、差し出しなおさせたのも、目の前で困っている人だった。りんは看護婦に戻る。
(田幸和歌子)
文/田幸和歌子
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。


