孫たちの探究心に胸を打たれる、私の静かな毎日。失ってしまった世界への“驚き”と“期待感”
『老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙』(アスコム)は、59歳の女性が抱く「老いへの不安」に、88歳の女性である著者が温かく答える手紙集です。目次には「老いるのがいやでたまらない」「母と娘の関係」など、大人の女性なら誰もが共感するリアルなテーマが並びます。年齢を重ねる葛藤や変化にユーモアを交えて率直に触れつつ、その先にある「人生を愉しむ自由」を優しく教えてくれます。今回はこの本の中から、これからの人生にワクワクした希望をくれるメッセージをご紹介します。
※本記事はソフィ・バーナム (著), 柴田 幸裕 (翻訳) による書籍『老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙』から一部抜粋・編集しました。
知恵、そして未知なるものへの驚き
9月15日
おはよう、エレノア。
年を取ると(ようやく今年になって「高齢者」という呼び名を受け入れ始めたばかりなのだけれど)最も強く感じるのは、活力の減退です。それに切迫感も薄れました。
身のこなしはもう以前のように速くもなければしなやかでもありません。今では以前のように、「昔はダンサーだったの?」とは訊かれなくなりました。好奇心や熱意が消えてしまったわけではないのですが、幸せな気持ちを表現しようとしても、まるで色の薄い絵の具で描いているようにどこか抑え気味になってしまいます。
先日、スーパーマーケットで、若いお母さんに連れられた3歳と5歳くらいの2人の女の子を見かけました。その子たちは野菜の並んだ店頭や、リンゴやナシが山のように積まれた売り場の間をぴょんぴょん飛び跳ねながら進んでいました。ピラミッドのように積んだオレンジや小高い瓶の山、ラップ包装した食品の並ぶ冷蔵棚を見ては、目を輝かせていました。目にするものすべてに驚きと歓びを感じていたのです。数歩進んでは立ち止まり、目の前に広がる豊かな光景に圧倒されているようでした。そして互いの袖を掴みっこしては、「見て!」と叫び合っていたのです。
そのときふと思いました。「そうそう、わたしはこういう気持ちを失くしてしまったんだ。つまり、不思議なものに対する驚き。何もかもが新しく、可能性に満ちていて、魔法みたいに思えて、今まで見たこともないものを前にしたときに抱く、心躍る期待感を失くしてしまった」
80代に達するまでに人は、既に充分すぎるほどさまざまな出来事を目にしています――いえ、"人"というのは違いますね。これはあくまでわたし個人の話です――だから何を目にしても、過去に見たものと比べてしまうのです。なんでも比較して、評価して、批評して、分析してしまいます。
〈初心(shoshin)〉に帰って物事に向き合うのが難しくなってきました。〈初心〉とは、禅僧・鈴木俊隆が著書『禅マインド ビギナーズ・マインド』(訳注:邦訳は藤田一照訳、PHP研究所、2022年)で提唱している心構えです。人は〈初心〉に帰り、あらゆる状況に対してまるで初めて目にしたかのように心を開き、先入観を積極的に捨てながら、しっかりと向き合うのです。
わたしは今や、道ゆく見知らぬ人にさえ、昔の知り合いの面影を見てしまいます。ずっと前に亡くなった人の顔まで重なって見えることがあります。もうあの跳ね回る小さな女の子たちみたいには、何ひとつ新鮮に見えそうもありません。
テレビも新聞も最新の危機的状況を声高に――というより絶叫するように――報じて不安と恐怖をあおっていますが、それにも新しさを感じません。どんな危機的状況も、乗り越えるべき試練にすぎないと学びました。
そして大体時間が解決してくれます。手を出さずにそっとしておけば、事態はやがて自然に収まります。戦争でさえ、たいていは疲弊しきるか消耗しきると終息します。どちらかが勝ち、政治体制が変わります。権力は水のようなもので、常にどこかへ、誰かのもとへと流れていきます。そうしてまた、物事のサイクルが再び動きだすのです。
ああ、時よ、このもつれ、ほぐすのはおまえ、私じゃない。私には固すぎて、解きほぐそうにも、ほぐせない。
――ウィリアム・シェイクスピア『十二夜』第2幕第2場(訳注:河合祥一郎訳『新訳十二夜』、角川文庫、2011年 より引用)

