この内なる静かな気持ち、活力が落ち着いていく感覚こそが、知恵と呼ばれているものでしょうか。だけど、わたしは2人の子どもたち、そして4人の孫たちを見ていると、あの子たちのほうがわたしよりもずっと知恵があるように思えてきます。どうしてあんなにいろいろなことを知っているのでしょう?

まだ10代の孫たちでさえ、心を広く持ち、探究心を忘れず、日々の体験と真摯に向き合いながら生きています。それになんといっても、迷いがありません。その様子にわたしは大いに胸を打たれます。わたしにだって迷いがなかった時期がありました。わたしだって自分の考えをしっかりと持っていたものです。

けれど今では、ほとんど何も理解できていないような気がするのです。

自分があまりにも物を知らないのではないかと心もとなく感じるのは、あなたにかぎったことではありません。わたしは人生を歩みながら、読書をたくさんして、辛抱強く考える術を身につけ、なおいっそう慎重に問いを重ねるようになりました。それなのに、知っていると胸を張れることは、かえって少なくなりました。

――第2代合衆国大統領ジョン・アダムズが孫娘キャロライン・アメリア・スミス・デ・ウィントに宛てた1820年1月24日付けの書簡

抑えきれないような高揚感はもう失くしてしまったと書きましたが、でも、エレノア、ひとつ付け加えておきます。たとえ「失くした」という言葉が正しかったとしても、その代わりにわたしは大きな贈り物を受け取ったのです。

最近のわたしは、眺めているだけの時間がとても増えました。ただ佇んで、紫色のチューリップや、路傍の美しい岩や、水浴び場に舞い降りるアオカケスの姿に見とれています。そんなひとつひとつに息を呑みます。そのときに心を満たすのは、スーパーマーケットで跳ね回っていたあの2人の小さな女の子みたいにはしゃいだ気持ちではありません。陽の光を受けてきらめく波間のはるか下で、黒々とうねる海流にも似た、深く静かな気持ちに包まれるのです。

これは外的要因で得られる"幸福"とは違います。

たぶん内側から湧き上がる"歓喜"と呼ぶべきものなのだと思います。

変わらぬ思いをこめて
ソフィ