川内:そうなんです。親が介護状態になると、たとえば、自分が幼少期に家族でテレビを見たり、食事したりしたダイニングテーブルに、洗面器や入れ歯の洗浄剤が載ったりします。それを見た子どもの中には、お客様が来たら恥ずかしいというのとは別に、自分の大切な思い出がよからぬ形で上塗りされた気がして、大きな喪失感にかられる人もいるんです。「お母さん、ここで家族みんなの誕生日祝いをしたよね?」と。でも、そんなことはもはやどうでもいいんですよ、ご本人の生活からしたら。入れ歯はテーブルの上にあってすぐにカチャッとはめられることが大事なんです。それを家族の価値観だけで軌道修正をかけちゃうと、親は自分にとって快適な生活ができなくなってしまう。
柴田:それに気づかないと、なんでこんなところに入れ歯が置いてあるんだよ、とイラついて、つい洗面台に持っていってしまったりする。親の都合も考えずに。
川内:それは結局、変わってしまった親のことが受け入れられないからなんです。でも実は、親は変わったのではなくて、本来の姿が顔を出しただけかもしれない。人はしばしば本来の自分を隠して生きています。
柴田:親は子どもにすべてをさらけ出して生きてるわけではないですからね。
川内:私だってそう。自分はたいして勉強しなかったくせに、平気で子どもには「勉強しろよ」と言ったりするわけですよ。「学校へはちゃんと行かないとダメだぞ」と講釈たれたり。自分は相当さぼってたくせに(笑)。親なんてそんなものですよ。
柴田:だらしなくなったように見えるけど、本来そういう人だったのかもね、と思えたら、ショックも少なくて済みそうです。
川内:おっしゃる通りで、親の意外な素顔を見たとき、「変わってしまった」と思うか、「新たな一面を知れてよかった」と思うか、その違いはとても大きいです。
柴田:変わってしまったと思ったら、なかなか現実を受け入れられない。
川内:そうなんです。そして「(父・母は)そんな人じゃない。もっとちゃんとできるはず」と、子どもの考える理想の生活態度を親に押しつけてしまうわけです。