『##NAME##』が第169回芥川賞候補作となった児玉雨子さん。もともとアイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞を提供する作詞家として注目の存在だった児玉さんだが、実は近世文芸好きの顔も併せ持つ。このほど刊行された『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)は、そんな児玉さんの近世文芸愛がほとばしる一冊。いまどきの感覚で「古典」を読み直し、芭蕉や西鶴、十返舎一九といった江戸期の文芸界をグッと身近なものにしてくれるのだ。
※この記事はダ・ヴィンチWebからの転載です。
『江戸POP道中文字栗毛』(児玉雨子/集英社)
そもそも児玉さんが近世文学に興味を持ったのは大学生の頃。必修授業で松尾芭蕉の俳諧の連歌と出会ったことがきっかけだったという。当時すでに作詞家として少しずつお仕事をしていた児玉さんは、メロディ先行で歌詞を作っていくポップスの作詞と、七五調の決まったリズムの上に当時においてのポップな言葉(俳言)や季語を入れていく俳諧の連歌に通底するものを感じたのだとか。そこから授業以外でも本を読むようになり、ひいては江戸のほかの文芸にも興味が生じ...それがのちに集英社のウェブサイト「よみタイ」での読書エッセイ連載へとつながり、それがまとまったのが本書というわけだ。
児玉さんは「はじめに」に「古典や近世文芸に興味があるもののどこから手をつければいいかわからない方、漫画やアニメ、音楽などのポップカルチャーが好きな方、装幀に惹かれた方、新しいもの好きな方にも、この本が近世文芸に触れるはじめの扉になればうれしいです」とメッセージを寄せている。ポップカルチャー好きや新しいもの好きと「近世文芸」はなかなか結びつかないようにも思えるが、以下の章タイトル(一部)を見るだけでも、児玉さんの想いがわかるというもの。
●異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBL
――風来山人(=平賀源内)『根南志具佐』の「やおい」としての再解釈
●机上のマジカルバナナ
――J-POP作詞家が読む松尾芭蕉
●天下一言語遊戯会
――俳諧史とポピュラー音楽の意外な共通点
●アンドロギュノスと心中
――『比翌紋目黒色揚』(曲亭馬琴)と古代ギリシャ神話の、偶然
●この座敷に花魁は永遠にこない
――十返舎一九『東海道中膝栗毛』と都会コンプレックス
コンプライアンスやジェンダーについての意識が今とはまるで違う江戸時代の文芸だからこそ、面白さも型破り。現代人にしてみるとツッコミどころも満載なのだが、一方で今の目線で捉え直すからこそ新たな魅力もみえてくる。かなりの編集魔だった芭蕉の素顔や、いわゆる「弥次さん喜多さん」のダメ男っぷりなど意外なエピソードも豊富で、近世文芸が持つ人間クサさがなんとも魅力的に思えてくる。文芸を入り口にきっと「江戸」という時代そのものにも興味が増すことだろう。
とかく勉強的に捉えると縁遠くなってしまいがちな「古典」の世界だが、こうした本が距離をグッと近づけてくれるのはありがたいことだ(そういえば大人気だったNHKの朝ドラではヒロインの寿栄子が大の馬琴先生オタっぷりを披露していたが、あれで『南総里見八犬伝』を読んでみたくなった人もいるだろう)。なお読書エッセイだけでなく、近世文芸作品をリメイクした短編が3篇も入っているのもうれしいお楽しみ。とにかく本書が近世文芸沼へのよき案内人になってくれるのは間違いない。
文=荒井理恵