子どもを持つのか、持たないのか/君島十和子「私が決めてきたこと」(9)

子どもを持つのか、持たないのか/君島十和子「私が決めてきたこと」(9) towako8.jpg2016年5月の誕生日で50歳を迎えた君島十和子さん。
20代で活躍されていた女優時代からの美しさは、健在! 素敵に歳を重ねておられる女性の代表として、いまでも多くの支持を受けています。

「決断」をテーマにした本書『私が決めてきたこと』から、妻として、母として、働く女性として、がんばる女性を応援する君島十和子さんのメッセージを受け取ってください。

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産んでみて、わかったこと。
私の場合は、人生の幅が広がりました。

「子どもを持つ」のか。あるいは「持たない」のか。自分がどんな人生を歩みたいのかを考えたとき、おそらく誰もが一度は熟考することでしょう。

どちらでもよい、と私は思っています。大切なのは、当人が人生のなかで、何を最も大切にしたいかです。それが家族でも、仕事でも、趣味でも、どれであってもよいと思います。どの人生にも、その道を選んだことでしか得られない素敵なことがたくさんありますし、逆に、その道を選んだからこその苦労があるでしょう。

私の場合は、たまたま「子どもを持つ」人生を選びました。そして、実際に子どもを持ってみて、私なりに感じたことは、人生の幅が広がった、ということです。

 

母親としての意識が、強さをもたらした

はじめにそれを実感したのは、長女の妊娠中でした。
私たちの結婚にまつわる騒動は落ち着きはじめていましたが、新たな騒動が持ち上がったタイミングでもありました。

主人の父・君島一郎が急逝したのです。
結婚発表の翌年、1996年のことでした。

義父の遺言書には、会社の権利を主人に残すとありました。会社の経営権を引き継ぐということは、そこに紐づく会社の債務なども含めた、すべてを引き継ぐということです。

当時、31歳だった夫は、突如、経営責任者として矢面に立ち、デザイナー兼社長であった義父だけが把握していた複雑な経営事情を、一身に背負うことになりました。猛烈な逆風の中、主人は取引先やマスコミを含めた渉外対策を行い、100人近くいた従業員さんたちの処遇を決めたり、退職金を工面したりするために奔走することとなったのです。

「あれは、のちの困難に立ち向かうための強烈な予行演習にはなったけれど、あの年齢だったから乗り越えられたんだな」

今では笑ってそう話す主人ですが、その当時は、口数が減り、みるみるうちに体重も減っていきました。それでも家では、心配をかけないためと思ったのか、仕事についてはひと言も語りませんでした。そんな彼を元気づける言葉さえも浮かばず、ただただ見守ることしかできなかった私......。

当時の困難を彼が1人で耐え抜いたことを、私は今も尊敬しているのです。

一方の私は、昼夜かまわずインターホンを鳴らすマスコミ取材への恐怖感が抜けず、「外出恐怖症」になっていました。約8カ月間にわたる報道。様々なところで待ち受けるカメラマンの存在。「外に出るのが怖い。見知らぬ人が怖い......」と神経過敏の状態になっていたのです。

家に引きこもりがちの私でしたが、そのころお腹のなかの長女を意識するようになるにつれ、意識は次第に外へと向くようになりました。「この子が産まれたら、車が必要になる。だったら、その前に免許を取りにいかなくちゃ!」母親としての意識が、私に強さをもたらしてくれたのです。

 

子育てを通じて知った、喜びや幸せ

実際に長女が生まれてからは、人目を気にするどころではありませんでした。娘の小さな爪をいつもよりほんの少し切りすぎたような気がすれば、慌ててて病院に運び込んで、お医者様に「ちょっと赤くなってるだけじゃないの。絆創膏を貼る必要さえないよ」と苦笑されたり。

長女が外出できる月齢を迎えてからは、新鮮な外の空気を吸わせてあげたくて、午前中から公園に出かけるようにもなりました。そこで仲良くなったママ友の家にうかがって、庭のビニールプールで子どもたちを一緒に遊ばせながら、母親である私たちは、和気あいあいとおにぎりを頬張っていたり。

いつの間にか、「外出できない」「他人が怖い」などという小さな感情は、すっかり消えてなくなっていました。代わりに穏やかな幸せを知ることができたのです。

そして、次女が誕生。「長女のときの育児のノウハウが使えるわ」と思っていたのですが、個性のまったく違う次女にはそれが通用せず、毎日が驚きや発見の連続でした。

子どもを育てるということは、そのつどが試行錯誤の繰り返しです。体力も気力も使い果たしてヘトヘトになることもありますが、今までの自分であれば決してしなかった様々なチャレンジを通じて、家族が増えた喜びを実感しました。

私の人生の幅を広げてくれた、2人の娘たちに恵まれたこと。

私にとって、何にも変えがたい宝です。

 

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君島 十和子(きみじま・とわこ)
高校在学中に「,85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。1986年女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍。結婚を機に芸能界を引退。2005年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げ、20種類にも及ぶ製品ラインナップを開発。著書に『十和子イズム』(講談社)、『君島十和子の「食べるコスメ」』(小学館)、『十和子塾』『十和子道』(集英社)など多数。

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『私が決めてきたこと』

(君島十和子/KADOKAWA)

夢をあきらめたこと、大変だった子育て。すべてが「いま」につながっている―。 君島十和子さんが50歳になったいま、妻として、母として、働く女性として感じていること。「決断」をテーマにし、女性がしなやかに強く生きるための31の秘訣をまとめた1冊です。

 
この記事は書籍『私が決めてきたこと』からの抜粋です

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