2016年5月の誕生日で50歳を迎えた君島十和子さん。
20代で活躍されていた女優時代からの美しさは、健在! 素敵に歳を重ねておられる女性の代表として、いまでも多くの支持を受けています。
「決断」をテーマにした本書『私が決めてきたこと』から、妻として、母として、働く女性として、がんばる女性を応援する君島十和子さんのメッセージを受け取ってください。
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的外れな中傷に振り回されないよう、自分のなかに、ブレない芯を持ちます。
自分では間違っていることはしていない......。
でも周囲から、そうは思ってもらえないときもあります。
結婚を決めた当初の私たち夫婦が、まさにそうでした。
私が「結婚」と「芸能界引退」を発表したのは、1995年の冬のこと。婚約発表の直後に、主人の過去の人間関係などが週刊誌やワイドショーで取り上げられ、それをきっかけに、私たちの話題が、メディアで報じられない日はないという状態になりました。
しかも、関係者が発言したほんの一部が切り取られ、そこだけが妙な具合に強調されて、捏造(ねつぞう)されたストーリーが膨れ上がり、一人歩きをはじめている......。
家から一歩出れば、報道各社のワゴン車が待機し、写真週刊誌のカメラマンがバイクで追いかけてきます。報道がヒートアップするほどに、彼のご両親をはじめとする大切な方が傷ついていきました。私たちはといえば、お互いに会うことはおろか、携帯電話で話しをする時間も限られるほどに......。
ですが、私たちの決意は変わりませんでした。互いに「この人しかいない」と固く心に決めていたのです。
両家の両親とも、何度も話し合いを重ね、ようやく私たちは役所に婚姻届を提出しました。婚約発表の記者会見をした12月1日から約3週間後。18日のことでした。
「これだけは守り抜く!」とはっきり意識する
周囲を巻き込んだこの大騒動から、私が学んだのは、中傷や非難に流されないために、自分のなかにブレない「芯」をしっかりと持つ必要があるということです。
当時、匿名でなされた中傷や非難は、容赦のないものが多くありました。
ただ、どんなに真実と違うとわかっていても、自分たちに向けられたネガティブな情報が目に入れば、やはり心身が疲弊していきます。
このときに、どれだけ「自分の芯」をつかんでいられるか。例えば、愛する人と歩む人生だったり、大切な家族との生活であったり、一生をかけて成し遂げたい仕事だったり。「これだけは守りぬく!」というものがはっきり自覚できていれば、的外れな誹謗(ひぼう)中傷を浴びせられても、自分の思いを貫くことができるのです。
「私らしい人生」を生き抜くために必要なこと
このときの私の心の芯は、言うまでもなく、「私が信じたこの人と、幸せな家庭を築く!」というものでした。
この芯がしっかりと定まっていなかったら、匿名でなされた一方的な非難に傷ついて、その結果、大切なものを手放していたかもしれません。もし、世間の誹謗中傷をまぬがれるために自分の大切なものを手放して、その後の人生を失意のうちに過ごすことになったとしても、世間の誰1人として責任をとってはくれないでしょう。
特に、今はインターネットやSNSが主流の社会。たくさんの方とつながり、ありがたいコメントをいただけるという喜びが生まれる一方で、匿名性ゆえに勘違いや悪意が生まれやすい状況だとも思います。
こういう時代だからこそ、時々、自分の芯を意識すること。
守りたいものを心に決めておくこと。つまり、自分がいちばん望んでいることを見極めること。それが、振り回されず、「私らしい人生」を生き抜くために必要な要素だと思っています。
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君島 十和子(きみじま・とわこ)
高校在学中に「,85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。1986年女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍。結婚を機に芸能界を引退。2005年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げ、20種類にも及ぶ製品ラインナップを開発。著書に『十和子イズム』(講談社)、『君島十和子の「食べるコスメ」』(小学館)、『十和子塾』『十和子道』(集英社)など多数。
『私が決めてきたこと』
(君島十和子/KADOKAWA)夢をあきらめたこと、大変だった子育て。すべてが「いま」につながっている―。 君島十和子さんが50歳になったいま、妻として、母として、働く女性として感じていること。「決断」をテーマにし、女性がしなやかに強く生きるための31の秘訣をまとめた1冊です。