SNSの普及が、新たなストレス源になっている――。「世界が尊敬する100人」に選ばれた禅僧・枡野俊明住職はそう指摘します。SNSに振り回されず、穏やかに生きるためには、どうすればよいのでしょうか。そこで、住職の新刊『何を言われても「平気な人」になれる禅思考』(扶桑社)より、繊細な人が傷つかずに暮らすためのエッセンスを連載形式でお届けします。
ガンになっても、「仲よくやろう」と思うと長生きできる
ある年代以降になると、いちばん気になってくるのが健康でしょう。寿命が延び、「人生一〇〇年時代」といわれますが、長くなった晩年を楽しく過ごすには、健康であることが条件です。
お釈迦様は「生老病死(しょうろうびょうし)」を四苦、人が避けることができない四つの苦しみとされました。この世に生を受けたら、誰もが老いていきますし、病気にもなります。そして、やがて死を迎えるのです。
避けられない以上、課題はそれをどう受けとめていくかでしょう。もし、ガンを宣告されたら? 医療は日進月歩しているとはいえ、ガンはまだまだ死を連想させる病気であることに変わりはありません。
平気で受けとめるのは容易なことではないでしょう。わたしはある〝ガン患者さん〟を知っています。前述した板橋興宗禅師です。板橋禅師は一五年以上前にガン宣告を受けています。
そのことを伝え聞いて、わたしはお見舞いの手紙を差し上げました。そのお返事はこんな内容でした。「ガンになってしまったら、一緒に生きていくよりないな。だから、まあ、ガンと仲よくやっていくよ」
その言葉どおり、板橋禅師はいまもガンと〝仲よく〟やっておられます。九〇歳を超える年齢ですから、さすがに托鉢(たくはつ)はされませんが、坐禅も作務もこなし、修行僧と変わりない日々を送っておられるのです。
「共生(ともいき)」
禅ではふりがなのように「ともいき」と読みますが、意味はそのままで、一緒に生きるということです。板橋禅師は、まさしくガンと、ともに、しかも、仲よく、生きておられる。わたしは、この発想がガンはもちろん、あらゆる病気の受けとめ方の理想だと思います。病気を「平気」で受けとめるにはこれしかありません。
いくら「嫌だ」と抗(あらが)ってみても、「なぜ、よりによって自分が......」と呪ったところで、ガンがなくなることはありません。それどころか、「病は気から」ですから、そうしたマイナスの気持ちでいたら、病状だって進行が早まるのではないでしょうか。
門外漢ですから、正確なところはわかりませんが、医学的にもそれは証明されているようです。笑うことでガンをやっつける免疫系の細胞が増える、といった報告もあります。
身体が病(や)んだからといって、なにも心まで病むことはないのです。板橋禅師のように「仲よくやっていく」とまでは考えられなくても、「まあ、しかたがないか」くらいの心持ちでいませんか?「あきらめる」という言葉があります。「諦める」ではなくて、「明らめる」、明らかにするということです。禅では重要な考え方です。
ガンになってしまったのは、自分の身体の変化であり、ならない前の身体に戻ることはできない。いまの自分は身体にガンがある自分なのだ。そうであったら、ガンであるその自分で生きていくほかはない。
これが「明らめる」ということです。健康なときの自分、ガンでない自分を思うから、気持ちが塞いだり、沈んだりするのです。正味の自分、ガンである自分を認めてしまえば、明らかにしてしまえば、気持ちはずっと違ったものになります。
良寛さんがこんなことをいっています。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候」
災難に出くわしたら、まるごとそれを引き受けてしまえ、ということですね。良寛さんは、それが災難を逃れる妙法、いちばんの方法だとしているのです。
ガンに遭う時節には、ガンに遭うがよく候。これでいきませんか。
明らめたら、ガンと一緒にやっていける
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5つの章にわたって、「繊細な人が傷つかないための41の教え」を掲載。SNSでも実生活でも「何を言われても平気な人」になるためのヒントが満載です。