雨宮氏は、「こじらせ女子」が2013年に「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補になった時のインタビューで、こう語っています。
「劣等感や卑屈さに『どうせ私は』と開き直ったり、あきらめたりするのではなく、それに向き合って乗り越えようともがいているのが、心正しいこじらせ女子の姿」(「こじらせ女子:生みの親に聞く 流行語大賞ノミネート」MANTANWEB、2013年11月24日)。
それは、当時蔓延していた「こじらせ女子」の不名誉な誤用を一喝して正し、名誉を回復させる一言でした。
◆受け渡されたバトン◆
ところが、です。
雨宮氏は2016年11月、早すぎる生涯を閉じてしまいます。
享年40。
彼女のファンが当時受けた絶望にも近い衝撃と喪失感は、相当なものでした。
ただでさえ生きづらいこの世の中で、齢を重ねた独身のこじらせ女子はどう生きていくべきか。
そのトップランナーが、「答え」を出さないままこの世からいなくなってしまったのですから。
雨宮氏より少し年下である筆者の友人女性も、その悲しみを電話でとうとうと語っていました。
「これから私たちは、どうすればいいんでしょう......」
ただ、個人の強い意志というものは、遺志として必ず引き継がれます。
奇しくも、と言うべきか、雨宮氏は『女子をこじらせて』のあとがきで、こう書いていました。
「こじらせている女子全員に言いたいことは、私の屍(しかばね)を越えていってくれ、ということです」
雨宮氏亡きあと、こじらせ女子たちはこの言葉を、どう解釈すべきなのでしょうか。
筆者はこう考えます。
大きすぎる困難をたったひとりで克服することはできないかもしれませんが、志半ばで倒れたランナーのバトンは、必ず誰かが受け取って第二走者になる。
しかも第一走者が偉大であればあるほど、多くの第二走者が名乗りを上げる、と。
『どうせなら、こじらせと仲良く生きたい。』という作品も、受け渡された多くのバトンのひとつなのでしょう。
強い意志はたくさんの人に受け継がれることによって、より光を増します。
マッチの火より松明(たいまつ)の炎のほうが、ずっと明るく、ずっと消えにくい。
このように、暗闇をより遠くまで照らすことができる尊い光のことを、人は「希望」と呼ぶのです。
シラフで生きるな「好きなものでバリア!」で自分を守れ/どうせなら、こじらせと仲良く生きたい(1)
文・稲田豊史/1974年、愛知県生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(KADOKAWA)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。編著に『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、編集担当書籍に『押井言論 2012-2015』(押井守・著、サイゾー)など。
漫画・大日野カルコ/神戸出身の漫画家・イラストレーター。別冊少女マーガレットにて別名義でデビューし、改名後はブログ漫画や商業イラストの執筆でも活躍中。現在『どうせなら、こじらせと仲良く生きたい。』を毎日が発見ネットで連載中!