「劣等感を乗り越えろ!」令和こじらせ独身女子のサバイバル術/どうせなら、こじらせと仲良く生きたい


◆個人の努力ではどうにもならない困難◆

しかし、その対症療法にすら「それができたら苦労しないんだよ」という声があがるかもしれません。

「闘病」という言葉があるように、病気に立ち向かうには大変な覚悟と強靭な精神力が必要なのです。

誰もがそれに努力できるわけではありませんし、他人に努力を強要すべきでもありません。

身も蓋もないことを言うなら、「そもそも病気にさえかからなければ、こんなことにならなかったのに......」という絶望も、「こじらせ」にはつきものです。

もっと自信が持てる容姿だったら、もっと愛想のいい性格だったら、こんな苦労はしないのに、と。

余談ですが、筆者はかつて「とある家柄の良い東京の大資産家」に、「育ちが良い」とはどういうことかを説明されたことがあります。

その方いわく、「自己肯定感を高める質の高い教育を、両親から受けること」だそうです。

自己肯定感さえあれば、歪まず、素直で、覇気がある子に育ち、どんな困難にも努力で立ち向かっていけるのだと。

その話を聞いたとき、様々な意味で「持てる者」と「持たざる者」の圧倒的な格差に愕然としました。

両親がそういう価値観を持ち合わせているかどうか、そういう学校に通わせられるだけの財力が家にあるかどうかは、子ども側の努力ではどうにもならないのですから。

◆人はなぜ闘病記に惹かれるのか◆

ただ、それでも私たちは生きていかなくてはなりません。

筆者は男性ですが、ことは「こじらせ」に限らないと思っています。

生まれつき、あるいは自分の努力ではどうすることもできない幼少期からの「育ち」や「置かれた環境」によって、自らの属性や能力が決定してしまうことを、我々は黙って引き受けざるをえない。

それがいかに理不尽で、恨みを募らせるほどの不平等を被らせるものだとしても。

雨宮氏はその理不尽を真正面から引き受けました。

それだけではありません。

精力的な執筆活動と言語化によって、自身の壮絶な闘病のさまを、同じ困難と戦う多くの女性たちに伝えようとしたのです。

その戦いぶりには卑屈さのかけらもありませんでした。

凛々しく、気高く、よく研いだナイフのように鋭い言葉で、彼女が書いたものや発言は、多くの女性たちに勇気を与えました。

人が誰かの闘病記に心を動かされるのは、「病気が治る」というハッピーエンドが待っているからではありません。

「それでも生きるんだ」という強い意志が、言葉を失わせるほどに尊いからです。

人はいつだって尊いものに触れたい。

尊さだけが、この苦しみと理不尽に満ちた人生の中にある、普段は物陰に隠れている自分のささやかな価値に光を当ててくれる。

幼い頃に破壊された自尊心を回復させてくれる。

こじらせ_007.jpgシラフで生きるな「好きなものでバリア!」で自分を守れ/どうせなら、こじらせと仲良く生きたい(1)

 

文・稲田豊史/1974年、愛知県生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(KADOKAWA)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。編著に『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、編集担当書籍に『押井言論 2012-2015』(押井守・著、サイゾー)など。

漫画・大日野カルコ/神戸出身の漫画家・イラストレーター。別冊少女マーガレットにて別名義でデビューし、改名後はブログ漫画や商業イラストの執筆でも活躍中。現在『どうせなら、こじらせと仲良く生きたい。』を毎日が発見ネットで連載中!

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