壮絶な闘病生活から...小説家・遠藤周作の最期の日々/死にゆく人にあなたができること

大切な家族や友人の死は、その先の人生を左右するほどの深い悲しみに包まれます。そんなつらい体験が、「苦しいことだけでなく、人生で最も大切なことを教えてくれる」という聖心会シスター・鈴木秀子さんは、著書『死にゆく人にあなたができること』(あさ出版)の中で大切な人を幸せに送り出すためのヒントを教えてくれます。今回は同書から、死との向き合い方を気づかせてくれるエピソードを厳選してお届けします。

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遠藤周作さんと順子夫人が紡いだ夫婦の絆

壮絶な闘病生活の末、最期にすばらしい夫婦の絆を紡がれた、小説家の遠藤周作さんと順子夫人のお話をしましょう。

遠藤周作さんは、小説『海と毒薬』や『沈黙』、『深い河』、『侍』など数々の名作を世に送り出した、昭和を代表する小説家の一人です。

その作品の多くは映画化もされています。

近年では、2016(平成28)年にアメリカ映画として『沈黙─サイレンス─』(邦題)が制作・公開されています。

また、シンガーソングライターの宇多田ヒカルさんが『深い河』にインスパイアーされて曲をお書きになったそうで、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

しかし、華々しい活躍や評価が光の面だとすれば、その反対に闇の部分も濃く、深くなることがあります。

遠藤さんの人生の大半は病との闘いだったと言っても過言ではありませんでした。

10代後半に患った肺結核に始まり、肋膜炎、肝臓病、糖尿病、高血圧、蓄膿症、前立腺炎、腎臓病、脳出血、院内感染や薬害など、次々に病魔が遠藤さんを襲いました。

そして、その闘病生活を支えたのは順子夫人の献身的で並々ならぬ看護でした。

遠藤さん自身がクリスチャンであったこと、私が近代日本文学の研究者であることなどからご縁をいただき、30数年にわたって親しくお付き合いをさせていただきました。

病状が進み、親しい友人もお会いできなくなってからも、そして最期のときにも、私はご家族といっしょに病室に入れていただいたのでした。

亡くなる前の3年半の間、遠藤さんは入退院を繰り返し、最後の1年間ほどは、あまり口もきけない状態でした。

腎臓が悪かったため、自宅でも人工透析をしており、順子夫人は夜中も2時間おきに透析を続け、ほとんど睡眠が取れないような状態でした。

また、遠藤さんを苦しめたのは薬害からくる全身のひどいかゆみでした。

痛みはもちろんですが、かゆみも耐えがたいものです。

「かゆい、かゆい......」と病室で言い続けていた苦しそうな様子を、私は忘れることができません。

幾度となく危篤状態に陥りましたが、そのたびに遠藤さんの生命力に火を灯し続けたのは創作への思いと、順子夫人の愛の力だったと思います。

しかし、懸命な看護も及ばず、1996(平成8)年9月29日、ついに遠藤さんは旅立たれました。

「遠藤が危篤になりましたので、すぐに来てください」

その前日、私は順子夫人から連絡をいただき、夕方に、入院先の慶応病院に向かいました。

病室に入ると、ベッドに横たわる遠藤さんの体から何本もの管が延び、さまざまな医療器械につながれていました。

器械が動くすさまじい音が病室に鳴り響いていました。

私は茫然として立ちつくしてしまったことを覚えています。

しかし、そうした現実とは真逆に、病室には穏やかで爽やかな気が満ちていました。

どんなときでも前向きな順子夫人の思い、明るさも大きく影響していたと思います。

遠藤さんが目を開けると見える場所には、お母さまの写真が飾られていたのが印象に残っています。

人工呼吸器につながれた遠藤さんは苦しそうに、「ゼー、ゼー」と激しく音をたてながら息をしていましたが、不思議なことにその体は薄い繭のような光に包まれているように見えました。

死期が近づいた人は体全体が光る、というよりも白く透けていくのです。

私は、そうした人をそれまで何度か見ていました。

遠藤さんの最期のときが近いと感じました。

私を病室に迎えてくださった順子夫人は言いました。

「大丈夫です、今度も必ず乗り切ります......もしここで死んでしまったなら、これまでの私たちの3年半の苦しみは何の意味もなくなってしまいますもの」

あとからお話ししてくださいましたが、順子夫人はこのときも、遠藤さんは助かると本気で信じていたのです。

私は言いました。

「いいえ、意味のない苦しみはありません。私たちの理解を超えることかもしれませんが......苦しみには必ず意味があります」

この瞬間にも、世界中で多くの人が苦しみ、悲しみを抱えて生きています。

苦しみに意味などあるのか?と思う人もいるでしょう。

なぜ神は助けてくれないのか?と思う人もいるでしょう。

私も、「なぜ神は何も語らず、沈黙しておられるのか」と思ったこともありました。

しかし、その沈黙があればこそ私たちは与えられるだけではなく、自ら答えを見つけ出し、前に進んでいくことができるのではないでしょうか。

私は、それこそがこの世に生を受けて生きる意味であり、死があるからこそ、生のよろこびも輝くのではないかと思うのです。

【最初から読む】「私が死んでも悲しまないで・・・」死にゆく教え子への祈り

【まとめ読み】「死にゆく人にあなたができること」記事リスト

壮絶な闘病生活から...小説家・遠藤周作の最期の日々/死にゆく人にあなたができること 171-c.jpg死を受け入れる「聖なるあきらめ」、大切にしたい「仲良し時間」、幸せな看取りのための「死へのプロセス」など、カトリックのシスターが教える死の向き合い方

 

鈴木秀子(すずき・ひでこ)
聖心会シスター。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。フランスやイタリアに留学し、ハワイ大学、スタンフォード大学で教鞭をとる。聖心女子大学教授(日本近代文学)を経て、国際コミュニオン学会名誉会長に。聖心女子大学キリスト教文化研究所研究員・聖心会会員。文学療法、ゲシュタルト・セラピー。日本にはじめてエニアグラムを紹介。著書多数。

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『死にゆく人にあなたができること』

(鈴木秀子/あさ出版)

死にゆく大切な人に、どうすれば穏やかで幸せな最期を迎えさせてあげることができるのか。悲しみや後悔を癒し、残された人が前を向いて生きていくためには何が必要なのか。大切な人との最期の別れを後悔しないための死への向き合い方、考え方をカトリックのシスターが教えてくれます。

※この記事は『死にゆく人にあなたができること』(鈴木秀子/あさ出版)からの抜粋です。
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