男の浮気と女の浮気。その結末はこんなに違う/大人の男と女のつきあい方

男の浮気と女の浮気。その結末はこんなに違う/大人の男と女のつきあい方 pixta_4973270_S.jpg40歳を過ぎ、しかも家庭を持つ男の恋愛は難しいのが現実。しかし、年齢を重ねても、たとえ結婚していても異性と付き合うことで人間は磨かれる、と著者は考えます。

本書『大人の「男と女」のつきあい方』で、成熟した大人の男と女が品格を忘れず愉しくつきあうための知恵を学びませんか?

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男の浮気と女の浮気、その結末の違い

若い頃、つきあっている女性に二股をかけられたことがある。
彼女の浮気相手は、私にとって親友というほどではないがよく知っている男だった。イヤな男ではなかったし、同業他社で働いていて仕事もなかなかできる。不思議に感じたのだが、彼女の浮気が発覚したときも、相手の男に対しては恨むような気持ちは起こらなかった。男としての屈辱感のようなものは多少味わったが、それよりも強かったのは、裏切った彼女への幻滅感だった。怒りがわき上がってくると、その矛先は彼女へと向かった。

三行半(みくだりはん)を突きつけ、すぐに彼女とは別れた。だが、しばらく疎遠にはなったものの浮気相手の男性とのつきあいはほどなく復活した。彼はバツの悪そうな表情をしたが、お互いに浮気の問題にはいっさい触れず「まあまあ」程度の呼吸ですませられた。

逆のケースもある。私の浮気だ。もちろん、独身時代の大昔のことで、ずいぶん前に時効を迎えた話である。
そもそも、独身で浮気という言葉が適切かどうかわからないが、いまでいうステディーな関係の女性だったのだから浮気でいいだろう。だが相手が悪かった。彼女と同じ職場の後輩だったのだ。精力があり余っていた若い頃の話である。

当然、まず彼女は涙を流しながら叫ぶように私を詰った。私に対する怒りが収まると、今度はそれとは比較にならないほどの強い怒りが彼女を襲ったようだ。
「ドロボウ猫だわ、あの女。絶対に許さないから!」
ドロボウ猫呼ばわりされた後輩の彼女に罪はない。どう考えても不実なのは私である。先輩の恋人とつきあうなんてとんでもないと、はじめは決して応じなかったのを強引に誘ったのは私のほうである。悪いのは当然、私だ。だが、尋常ならざる彼女の怒りと憎しみの矛先が私に向かわなかったのは、意外だった。

正直なところ、証拠十分の加害者であるはずの私が知らないうちに被害者になっていて、悪いのは後輩の彼女になっていたのだ。この件について、私はいっさい言い訳はしなかったし、罪を認めて彼女にわびた。にもかかわらず、である。
「誘ったあなたも決して褒められたものではないけれど、それは男だからしかたがない。いちばん悪いのは女のくせに『誘うように仕向けた』あの女のほうだ」どうも彼女の思考回路はそうなっていたようだ。私には微罪で執行猶予つきの判決が下りた。だが、彼女は私の浮気相手に対して、求刑よりも重い判決を下した。彼女は職場で、ことを暴露したのだ。

結果、私の浮気相手はいたたまれなくなって職場を去った。結局のところ、それからほどなくして私はいずれの女性とも関係を終わらせた。

以後、第三者として同じような色恋沙汰を見聞きしてきたが、どちらのケースでも女の当事者は判で押したように「悪いのは女」と判決を下す。男と女の思考回路の違いなのか。これは、どういうことなのだろう。おそらく、世間にはこんな共通認識があるのではないだろうか。

「男と女の関係において、男に一途(いちず)さを求めるのは無理である。対して、女が浮気をしたり、横恋慕することは許されるものではない」

世の中には「浮気は男の甲斐性」据え膳(ぜん)食わぬは男の恥」という言葉がある。芸人の世界では「女は芸の肥やし」などともいう。いずれも、女性から見れば「バカにするな」と怒りたくなるような話だ。男の女遊びは大した罪ではなく、いわば子どものヤンチャのようなもので叱っても直らない......。だが、女性に対して、これほど寛容な言い伝えは聞いたことがない。

「俺は、自分が愛していた女を奪っていった男に対しては、恨みを残さないんだ。男はみな、聖人君子みたいな顔をして、男の友情だの契りだの、大まじめに口にするけど、誰だって同じことをやるさ。たとえ無二の親友の女だったとしてもね。覚悟を決めたら奪うだろう。それが男だ。だから、女房を奪った相手のことを憎んだことはない。俺が憎んで殺したいと思ったのは女房のほうだった」

日本経済新聞の夕刊に作家の小池真理子さんが連載していた『無花果(いちじく)の森』の前半での一節である。かつて妻をほかの男に奪われた夫の言葉だ。男中心の社会は身勝手で、どうも不貞が糾弾されるのは女性の側だけだったようである。

だが、女性の逆襲がすでに始まっている。テレビや新聞が伝えるニュースでも、婚外恋愛は男性だけの専売特許ではなくなったことを物語る事件が頻発している。男に依存せずに自立した女性の台頭、女性の社会参加、年金制度の改定による妻の権利の拡大など、時代は確実に男の勝手な言い分を制限しはじめた。男にとって好都合だった以前の士壌も、いまや風前の灯(ともしび)だと思っておいたほうがいい。

「誰とつきあおうと私の勝手でしょ。好きになった男に手を出すことこそ女の甲斐性よ」
こんな言葉が女性の口から出てくる時代が、確実に近づいている。男が望むと望まぬとにかかわらず、である。

 

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川北義則(かわきた・よしのり)
1935年大阪生まれ。1958年慶應義塾大学経済学部卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。文化部長、出版部長を歴任。1977年に退社し、日本クリエート社を設立する。現在、出版プロデューサーとして活躍するとともに、エッセイスト・評論家として、新聞や雑誌などに執筆。講演なども精力的に行なっている。主な著書に『遊びの品格』(KADOKAWA)、『40歳から伸びる人、40歳で止まる人』『男の品格』『人間関係のしきたり』(以上、PHP研究所)など。

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『大人の「男と女」のつきあい方』
(川北義則 / KADOKAWA)
「年齢を重ねても、たとえ結婚していたとしても、異性と付き合うことによって、人間は磨かれる」というのが著者の考え。しかし、40歳を過ぎてから、 しかも家庭を持つ男の恋愛は難しいのが現実です。 本書は、成熟した大人の男と女が品格を忘れず、愉しくつきあうための知恵を紹介。 いつまでも色気のある男は、仕事も人生もうまくいく!

 
この記事は書籍『大人の「男と女」のつきあい方』からの抜粋です

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