大切な家族や友人の死は、その先の人生を左右するほどの深い悲しみに包まれます。そんなつらい体験が、「苦しいことだけでなく、人生で最も大切なことを教えてくれる」という聖心会シスター・鈴木秀子さんは、著書『死にゆく人にあなたができること』(あさ出版)の中で大切な人を幸せに送り出すためのヒントを教えてくれます。今回は同書から、死との向き合い方を気づかせてくれるエピソードを厳選してお届けします。
死にはたくさんの意味が込められている
今、この瞬間にも多くの人が死に直面し、たくさんの家族や親しい人たちが苦しみや悲しみを抱えているでしょう。
そこで、本書を進めていく前に、まずは私が「死」についてどのように考えているのか、そして、どういった確信をもっているのかについてお話ししたいと思います。
死というものについて、どのように感じ、考え、どう受け止めるかは人それぞれです。
それでも、やはり死を肯定的に捉えるよりも否定的に捉える人のほうが多いのではないでしょうか。
・死は孤独なもの、ひとりさみしく死んでいくのは耐え難い
・死ねばすべてが無になる、これまで生きてきた意味もなくなる
・残された家族のことが心配で、死ぬに死ねない
・家族と別れるのは本当につらい
・死ぬことが怖くて、怖くてたまらない、考えたくもない
・苦しみながら死にたくない
・まだやり残したことがある、後悔もある
・まだ何もやり遂げていない、このまま死にたくない
このように考えたり、感じたりすることは人として自然なことだと思います。
しかし、これまで私が死の瞬間に立ち会った人や、大切な人を亡くした家族や友人の中には、死に対してまったく異なる考えや思いをもっている方々が多くいることも事実なのです。
たとえば、次のようなものです。
・死は誰もが経験することで特別なことではない
・死は怖いものではない、恐れることはない
・人は命を創りだすことはできない
・人は大いなる存在と呼ぶべきものに生かされている
・人にはそれぞれ生きる使命があり、それが終わると死を迎える
・人生に無駄なことはない、苦しみにも意味がある
・死があるからこそ生は輝き、生きる価値がある
・死にざまは、その人の生きざまそのもの
・人は孤独ではない
・すべては一つにつながっている
・死は終わりではなく、生の続きである
・死の間際、苦しそうに見えても本人の魂は至福のときを味わっている
・魂も死後の世界も存在する
・死ぬときは親しい人があの世から迎えに来てくれる
・死によって、自分のすべては許され、受け入れられ、癒される
・この世も、あの世も、もっとも大切なのは愛である
・死は、その人にとっていちばん良いときに訪れる
死に対するこうした考えや思いは、どれが正しく、何が間違っているということはありません。
また、答えを一つに限定する必要もないでしょう。
なぜなら、それぞれの人にとって、その人が体験したことが真実だからです。
自分にとっての真実は、他人と比較して優劣を決めるものではないし、人の意見や評価によって決定され証明されるものでもないからです。
私は確信しています。
死は不吉なものでも、忌み嫌って避けるものでもないことを。
そして、死のあとには、やすらぎに満ちた至福の世界があることを。
ですから、どうか死のマイナス面ばかりを考えて、不安や恐怖や悲しみに囚われないでください。
この世界のすべてには陰と陽が存在するように、物事には良い面と悪い面があります。
どちらか片方だけでは成り立ちません。
両方が合わさって、この世界も、一人ひとりの人生も成り立っています。
【最初から読む】「私が死んでも悲しまないで・・・」死にゆく教え子への祈り
死を受け入れる「聖なるあきらめ」、大切にしたい「仲良し時間」、幸せな看取りのための「死へのプロセス」など、カトリックのシスターが教える死の向き合い方