「ごはんゆっくり作っていいよ♪」じゃない!母の看病の日々、夫に悶々/あぽり

こんにちは、あぽりです。夫と、大学生の息子と、高校生の娘の、4人家族です。

私には、約1年前に倒れてから要介護1になった母がおります。

前回、兄夫婦に来てもらい母の状態を見てもらったところまで書きました。

前回の記事:寝たきりになった母をこれから誰がみる? 兄夫婦との話し合い/あぽり

翌日からは私が一人で母を看なければいけません。

胸から下が全く動かなく寝返りも出来ない母でしたが、食事は取れます。

食事の時は抱き起こさなければいけないのですが、これがとてもじゃないけど

動かない!

重い鉄の塊を動かしている気分です。

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なんとか抱き起しても自分の力で座っていられないので、倒れないように支え続けなければ

いけません。

母の場合、闘病から介護に至ったのではなく、昨日まで健康だった人が突然倒れて寝たきりになったので、やせ細ることもなく、しっかり脂肪が付いていました。

これを抱き起すのはとてもしんどい...。

身長や体重測定で、「お母さんを車椅子で測定室まで連れて来てください」と言われても、車椅子に移動させることも出来ないのです。

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介護の資格、取っておけば良かったかな...と半ば本気で思いました。

 

そして、もう一つの悩みが出始めました。

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私には私の生活があり、仕事もしており、そこへ往復3時間以上かかる病院へ毎日通うとなると...。

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帰宅が22時頃になる事もあり、家事が思うように出来なくなりました。

今までは、夫や子供が家事を手伝わなくてもあまり不満にも思わなかったのですが、この時、不満が少しずつ溜まっていきました。

大学生の息子は忙しくてあまり家にいません。

それでも、お風呂掃除をやってくれたり、洗濯物を取り込んでくれたりしていました。

娘は、料理だけは出来ないけれど洗濯や洗い物はやっていてくれる事も多かったのですが......

問題は、何もしない夫。

夫の帰宅は18時です。

その後私が帰るまで何をやっているかと言えば、ゲームしてるかテレビを見ているか。

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洗い物もそのまんま。

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「ゆっくり作っていいからね♪」

「遅くなってもいいからね♪」

「慌てて作る必要ないよ♪」

と言うのです。

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だけど、

ゆっくり作っていい、

遅くなってもいい、

そう言われるたびに、

心の中のもやもやが大きくなりました。

夫は18時に帰ってきているのに

遅く帰ってきた私がご飯を作るのか。

夫は休日は休みなのに、

休日なんてなくなって、

休み返上で病院に行って、

くたくたになって帰ってきた私が

ご飯を作るのか。

朝はお弁当も朝食も作って、

それから仕事へ行って、

終わったら病院へ行って、

病院から帰ってきたら洗濯をして、

ご飯を作って...

「ゆっくり作っていいよ」

そのセリフは優しさなのだろうか。

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一度、

「帰りが遅くなった日は、なんでもいいから作っておいてくれるといいのに。それこそ、カレーでいい。」

と言った事があるのですが、

「作るのはめんどくさいから、外食すればいいじゃん」

と言うのです。

そんなことが出来るならとっくにしている!

毎回外食してたら途端に家計は火の車になります!

だけどこの頃の私は、

やらなければいけない事や、

考えなければいけない事がたくさんあって、

毎日がむしゃらに生活をしていたので、

文句を言っている暇もありませんでした。

もやもやしながらも、

日々の家事は私が全てやっていました。

子供達も、塾やバイトがあると

手伝う事も出来ません。

1人で全部やっていました。

どんどん疲弊していきました。

それは、ただの肉体的疲労とは違い、

心配や不安も大きく、

手続きや仕事上の事、

娘は受験生だったので、

塾への送迎や、面談など、

学校の行事、

子供が体調を崩せばそちらの病院へも

行かなければいけなくて、

やらなければいけないことが多過ぎて

自分が抱えられる許容量を

超えてしまったのだと思います。

私が爆発したのは、

家事うんぬんではなくて、

別の理由からでした。

次回は、夫婦喧嘩(喧嘩はしていないのですが(笑))の様子をお届けします。

【次の記事】相談したいのに「無駄」って!?もう夫は必要ないと感じた日/あぽり【最初から読む】いつまでも母は元気と錯覚していた。「プチ介護」の突然の始まり/あぽり

【まとめ読み】母の介護に...夫との大ゲンカも!? あぽりさんの記事リスト

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あぽり

ブログ「絵日記でございます。」を運営。Ameba公式トップブロガー。夫と、大学生の息子と、高校生の娘の4人家族です。ブログでは、50代の日常を楽しいイラストと共に綴っています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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