海外の写真、8mm映像、エッセイと音楽の掛け合わせ──ソロ活動のはじまり/凛として時雨 TK『ゆれる』

ハイトーンボイスと変幻自在な曲展開が印象的なスリーピースロックバンド、「凛として時雨」のボーカル&ギターであり、作詞作曲も行うTKのソロ活動名義「TK from 凛として時雨」。唯一無二のサウンドの紡ぎ手であるTKが、「揺れにゆれ」ながら、自らの言葉で彼らの辿った道筋を書き下ろした初のエッセイ。

音楽へ道へと進み始めたあの頃、母親の反対、メンバーとの出会い、無我夢中だったインディーズ時代、そして、メジャーデビュー...TKの音楽にとってなくてはならないものとの巡り合わせとは?

現在、人気アニメの主題歌なども手掛けるTKの独創的な世界観の軌跡を垣間見ることのできるエッセイ『ゆれる(著:TK)』より厳選してお届けします。

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『ゆれる』(TK/‎KADOKAWA)

ソロ


すぐ横には釣り堀があり、夏には独特の匂いを放ちながら春には満開の桜を見せてくれる市ケ谷の駅を抜けて、僕はソニー社屋のカフェに入った。海外で撮り溜めた写真をどんな形でアウトプットするかという打ち合わせの中で、「ソロ活動」の話が出たことがすべての始まり。最初はなんとかそれをバンド名義でリリースする方法を画策したものの、「パーソナルなものとの整合性が合わない」と出されたアイディアだった。  

ただし、音楽レーベルである以上、写真集という形態での販売はできない。さまざまな転がり方をしてたどり着いたのが、「film A moment」という作品だ。スコットランドの写真と、アイルランドのフィルム写真、8㎜映像を、旅のエッセイ、ソロ形態で作る音楽と掛け合わせたもの。自分の中では未開の地に足を踏み入れた瞬間だった。借り物の8㎜カメラはカタカタと音を立て、目的のない目的地へと向かう。荒野にはフィルムのシャッター音と8㎜の音だけがこだまする。慣れていない8㎜カメラは映っているかさえも分からず、ただひたすらに回し続けた。メンバーにも参加してもらいながら2011年にリリースされたこの作品がソロの始まりだが、ライブもなく、このときはあくまでプロダクトに対しての名義としてソロにしたという程度だった。

本格的にソロのライブがスタートしたのは、2011年に中野君の股関節の調子が悪くなり、公にはせずバンド活動を休養することにしたタイミングだ。休止直前のツアーでは、富山でのライブ中に「鮮やかな殺人」のイントロで足がもつれ、曲が幾度となくストップしたこともあった。表から見ているみんなには何が起きているか分からなかったはずだが、止まらずにずっと走ってきたからこそ、身体的に限界がきていたんだろう。ステージ上ではそれを弾き飛ばす熱量でライブを終えた。  

はっきりとその会話をした記憶はないが、それぞれが言葉にはならないその深刻さを感じ取っていた気がする。仰々しくならないように、身体に不調をきたしたことも活動を休止することも発表せずに、ライブを入れないという選択肢をとった。  

あのときの僕は何を考えていただろうか。契約上公にはできなかったインストの源を緩く作っていた僕は、バンドだけでは表現できないものへの憧れみたいなものを持ちはじめていた。すべてを緊迫感と鋭利なものだけで埋め尽くさなくてもいい、自分の音楽の行き先をどこかで求めていたんだろう。それがまた自分からの発信ではないことに、つくづく人との出会いの中で自分を形成していく面白みを知る。バンドの休止はきっかけに過ぎなかったが、自分のベクトルがだんだんとそこに向いていくと、よりはっきりとソロという概念のいろいろな物事が見えてきた。  

バンドを休止すると言っても、ソロ活動に動くにはいろいろな壁があった。ソロの可能性を信じてくれるスタッフがいる一方、ソロが上手くいかないことでのバンドへの悪影響を懸念し、「リリースはしないでほしい」という意見もあった。どちらも僕やバンドへの愛情があったからこそだが、これにはソロというものへの当時の見方も大きく影響している気がする。  

一般的に、ソロプロジェクトはメインプロジェクトの影で日の目も浴びづらく、マニアックになりすぎるという懸念がスタッフの中でもあったようだ。ソロ活動はバンドの枠を解放して新たなインスピレーションを得る場だという肯定的な捉え方は、まだあの当時は少なかった気がする。ましてや、一作目にリリースしたのが写真集と8㎜ビデオの映像作品集だったことが、余計に不安をよぎらせたのかもしれない。このやり取りが長く続いたことで、僕はソロ活動というものが人から受け入れられ難いものなんだと実感する。きっと、さまざまなアーティストのファンの方も同じような部分が少なからずあるだろう。  

2008年にメジャーへ移籍したことや、2011年のソロ活動スタート、2012年のアニメ初タイアップなど、あらゆるものへのファンの見方は、僕たちの中にもある程度同じような形をして居座っている。音楽活動において、さまざまなものをアレルギーのように「やりたいもの」「やりたくないもの」とはっきり分けていた僕たちにとって、だからこそそういったターニングポイントに対しては、特別な思いを持って遂行する確固たる理由があった。

避けて通った道、嫌っているものの中には、手に入れたいものがあったりする。奇妙なほど、新たな自分に触れることができたりする。僕は視野を広げることに元々肯定的ではなかったけれども、自分の視線がそこに向いたときにはじっくりとそこを見つめるようにしている。やりたくない、の理由をしっかりと見据えてみる。裏返すことで自分の欲しいものに近付けたりするから不思議だ。基本的に写真を撮られるのが苦手な僕が、この人のファインダーの中に見えている自分を見てみたい、と思うカメラマンさんに出会ったこともある。  

僕は今でもあのとき、いろいろな懸念を顧みず、「ソロをやってみるべきだ」と強くプロジェクトを推し進めてくれたスタッフに感謝している。誰にも求められていないように見えたその場所に到達する道は、とても険しく感じていた。まだ明確にソロというものを見据えていなかった僕にとって、そこに飛び込めと言わんばかりに背中を押してくれたその加速は、あまりにも大きかった。  

幾度となる話し合いの末、「film A moment」に続き、2012年にはソロとしてのファーストアルバム『flowering』をリリースした。凛として時雨において、バンドを結成する前の渡英がターニングポイントになっているとすれば、きっとソロ活動においては、「film A moment」『flowering』でのすべてのプロセスがそれを形成している。  

僕の音楽に対する執拗な執着心が功を奏したのか、その後今に至るまで、本当にさまざまなタイアップや楽曲プロデュースのオファーをいただくことができている。2021年にはアニメ『東京喰種トーキョーグール』の主題歌「unravel」が〝Spotifyにてもっとも海外で再生された日本アーティスト楽曲〞となった。母は少し誉めてくれた。  

バンドにとっての『#4』。ソロにとっての「film A moment」。  

僕が初めて触れた瞬間が形として記録されていることの奇跡を、僕はいまだに噛み締めている。僕は今でもいつかの僕に憧れたりする。

 
※この記事は『ゆれる』(TK (著)/KADOKAWA)からの抜粋です。

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