何やら騒々しい。
ベル? 目覚まし?
あっという間に朝だと思うほど、熟睡していたのだろうか。
まだ目を閉じていたかったが、とにかくうるさい。
仕方なく手を伸ばしてスマートフォンを見ると、ベッドに入ってからまだ一時間しか経っていなかった。それでも少しは眠れたようだ。
今ならもう一度眠れそうだった。だからもう少しこのままでいたかった。
しかし。
インターフォンに続いてドンドン、ドンドンと、激しく玄関のドアが叩かれ、今度こそ私は飛び起きた。
真夜中だ。何事かと思い、息を殺す。
間違いなく誰かがドアを叩いている。怖い。私はベッドの上で身を固くした。なおもドアを打つ音は続いている。
「南雲さ〜ん、南雲みもざさ〜ん、起きてぇ、大変よぅ」
この声は隣に住む大家さんだ。私はようやく異変に気がついた。何やら焦げ臭いにおいがする。それから次第に近づいてくるサイレンの音。
まさか。いや、こっちに来ないで。
私の願いも虚しく、サイレンはマンションの前で止まった。カーテン越しに赤色灯の光が壁を赤く染めている。
「み・も・ざ・ちゃ〜ん、火事よぅ」
私はベッドを飛び出すと、夢中でパジャマの上からさらに脱ぎっぱなしだったジーンズを穿き、セーターを被り、コートと通勤で使っているリュックを摑んで玄関ドアを押し開けた。
開けた途端にむっと強い煙の臭いがして目と鼻がつんとする。こらえきれずに咳き込んだ。
「良かった、逃げるわよ」
大家さんも咳き込みながら、私の腕をぐいっと摑んだ。
「火事って、どこですか」
私と大家さんは五階建てマンションの一階に住んでいる。横を見たがこの階から煙は上がっていない。ただ、焦げ臭さだけが強烈に漂っている。
「上なの。上のどこかなのよ。さぁ、早く」
大家さんは私の手を摑んだままエントランスへと駆けだした。すれ違いに何人かの消防隊員が駆け込んでくる。一階の奥からは、何度か見かけたことのある若い男が、スウェット姿のまま飛び出してきた。
マンションの外にはかなりの野次馬が集まっていた。消防車も続々と到着する。
恐る恐る振り返ると、二階の窓から勢いよく炎が噴き出していた。
暗闇で燃え盛る炎は禍々しいほどに鮮明で、強風に煽られて身をよじるようにさらに上へと這い上がろうとしていた。こんなに激しく燃える炎を見たのは初めてだった。私の足は震えだし、とっさに大家さんに縋りついた。
割れた二階の窓に、勢いよく消防車から水が注ぎこまれていた。窓の上部からは黒煙が激しく噴き上がっている。夜空を背景にしても、それがはっきりと確認できた。
「あ〜あ、これ、かなりきてるわ」
スウェットの男は、寒そうに両腕をさすりながらうんざりした声を漏らした。
「だ、大丈夫。鉄筋コンクリートだもの。延焼はしないわ。それよりあの部屋の向井さんよ。に、逃げたわよね。うん、きっとどこかにいるはずだわ」
いつの間にか私を両腕で抱き抱えてくれていた大家さんが、自分に言い聞かせるように呟いた。
「え、延焼、しないですよね」
私は確認するように繰り返した。なぜなら燃えているのは私の部屋の真上なのだ。
「も、もちろん! たぶんね」
大家さんが頷く。私たちはただ懸命の消火活動を見守ることしかできない。
消防隊員たちは、建物の外側と、長く伸ばしたホースで内側、両方から炎にアプローチしているようだった。
相変わらず窓を目がけての放水は続いている。炎は少しずつ押し戻され、野次馬から安堵の声が上がった。放水の勢いは激しく、窓から逸れた分は容赦なく外壁を伝わって地面に滴り落ちていた。二階のベランダも水浸しのようで、真下にある私の部屋のテラスにも滝のように水が流れ落ちていた。
私と大家さんは、いつの間にかしっかりと抱き合ってその様子を凝視していた。
歯がカチカチと鳴る。寒さのためか恐怖のためかわからない。いや、両方だ。真冬の真夜中に外に焼け出されているのだから。
「すげ。ちゃんと貴重品、持って来たんすか」
スウェットの男は、私の背中のリュックを見て目を丸くした。
見れば誰もが着の身着のままで、リュックなど背負っているのは私だけだった。
何やら恥ずかしくなり、男から顔を背けて上を向いた。消防車の照明と今なお漂う煙のためにはっきりしないが、頭上には星空が広がっているようだった。
「あ〜あ、あれじゃあ、真下の部屋は完全に水浸しっすね。お気の毒」
またしても男がグサリと核心をつく。
炎の勢いはだいぶ衰えていた。それでも消防隊員は容赦ない放水を続けている。完全に鎮火が確認されるまで続けられるに違いない。
いったいどれだけの水があの部屋に注ぎ込まれたのか。もはや私の部屋のテラスからは、溢れた水が敷地内の芝生に激しく流れ出していた。さながらナイアガラの滝だ。
ああ。
私はもう一度天を仰いだ。
もうずいぶん見ていなかったシリウスを探して必死に目を凝らした。