井上弘美先生に学ぶ、旬の俳句。8月は「盆行事を詠む」というテーマでご紹介します。
前の記事「足元へいつ来りしよ蝸牛/井上弘美先生と句から学ぶ俳句」はこちら。
づかづかと来て踊子にささやける 高野素十(すじゅう)
東京などの都会では、「盆」は新暦の七月に済ませますが、関西など旧暦の八月に盆行事を行う地域も多いようです。
この句の季語は「踊子」で秋。俳句では「踊」は盆踊りのことです。中央に組まれた櫓(やふら)を、踊子たちが囲んでいるのでしょう。そこに突然男がやって来て、「踊子」の耳元に何かを囁いたのです。「づかづか」という表現から、大胆で野性的な男性がイメージされます。一瞬を捉えて鮮明。ドラマ性があります。
素十は一八九三年、茨城県生まれ。医者として活躍しつつ、俳人としても一時代を築きました。一九七六年没、享年八三。
盆花や遺作の壺を満たすべく 西村和子
「盆花」は精霊花(しょうりょうばな)とも呼ぶように、精霊に供える花のことです。本来は山に入って桔梗や撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、千屈菜(みそはぎ)、鬼灯(ほおずき)などをとってくるものでしたが、現在では「盆花」として売られています。
この句は「遺作の壺」とありますから、大振りの飾り壺でしょう。そこに盆花を満たすことで壺の作者も含めて、精霊を迎えようというのです。この場合の「べく」は「~するために」という意味です。溢れんばかりの初秋の花々が思われます。
作者は一九四八年、神奈川県生まれ。『俳句日記2017 自由切符』よりの一句です。