2013年、「和食」はユネスコの無形文化遺産として登録された。その影響もあってか、海外では日本食の知名度が格段に上がり、ブームになっていると言っても過言ではない。どうしてそれほどまでに「和食」は人気なのか。その歴史をひもとくことで、見えてくるものがある。
『「和の食」全史 縄文から現代まで長寿国・日本の恵み』(永山久夫/河出書房新社)は縄文時代から昭和・平成までの「和食の歴史」をまとめている歴史専門書だ。「和食の歴史」に関する書籍は数多く出版されていると思うが、本書が類書と異なるところは、「栄養素」にも触れられていることだろう。
例えば、豊臣秀吉が家臣から慕われ、低い身分から天下人まで上りつめたのは、「セロトニン」の多い食事をしていたから。もちろん、「人に好かれる」人間性は生来のものもあったはずだが、食によってそれが増幅された部分も大きいという。
秀吉は子どもの時に貧乏だったこともあり、ドジョウや豆味噌といった「トリプトファン」の多い食生活をしていた。トリプトファンは、幸福感をもたらす脳内物質「セロトニン」の主原料だ。「セロトニンの出しやすい脳を持った人間はいつもニコニコしていて、ストレスに強く、人にも好かれるし、人材も寄ってくる」とある。
また、「縄文人」の健康寿命が意外と長かったのも、「栄養バランスが良かったから」。
縄文人は肉食と魚食の比率が高いので、アミノ酸バランスのよいタンパク質を常にとっていた。「米」はないが、クリやドングリ、クルミなどで炭水化物も摂取しており、山に自生しているセリやノビル、ヨメナ、ヨモギなども食していたと思われ、それらにはビタミンCやカロテンも含まれていた。
また、縄文時代なんて「素材をそのまま煮るか、焼くか」くらいしか調理方法はないと思っていたが、なんと、日本各地の遺跡からはクッキーやコッペパンなどの炭化物も出土しているとか。
押出(おんだし)遺跡(山形県)から発見された縄文クッキーは、クリ、クルミを粗く粉末状にして、イノシシ、シカなどの肉を混ぜ、血液も加えた栄養満点のもの。「つなぎ」として野鳥の卵を入れて練り上げ、加熱した石の上で焼いていたという。さらに成形してからねかして、発酵熟成させていたことまで分かっている。
縄文人は「グルメ」であり、しっかりと「料理」をして、栄養バランスに優れた食事をしていたのだ。もしかしたら、コンビニ弁当やファストフードばかり食べている現代人より、よほど栄養価の高い食生活だったかもしれない。
仏教が広がり、日本では原則「肉食」が禁止となったが、その代わりに「ダイズ」が良質なタンパク源となった。また、一般庶民の主食であった玄米は、現代でも見直されている栄養価の高い健康食品である(※白米を食べなかったわけではないそう)。
また奈良時代より始まったとされる「一汁三菜」の和食スタイルは「全体の摂取カロリーを低く抑え」、副菜につく根菜や海藻、山菜、豆から「ビタミン類や食物繊維など、健康にプラス効果の高い食べ方になる」。
和食の歴史を追ってみると、日本人がいかに丁寧に、時間をかけてご飯を作り、健康的な食生活を送っていたかが分かる。「和食ブーム」の理由も頷ける気がした。
文=雨野裾
(永山 久夫/河出書房新社)
食文化史の第一人者が解き明かす"和の食"1万年の変遷と真髄。クリやイノシシの肉で作った縄文クッキー、天平貴族が好んだ乳製品、戦国武士の出陣食、平成になりユネスコ無形文化遺産に登録された"和食"...著者自筆イラスト112点収録。