何が起こるかわからない人生、「自分の死」との向き合い方/岸見一郎「老後に備えない生き方」

「老い」と「死」から自由になる哲学入門として、『毎日が発見』本誌でお届けしている人気連載、哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「自分の死とどう向き合うか」です。

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自分の死

他者の死は不在である。他者はこの世界からいなくなるが、この世界は存続する。

それでは、自分が死ねばどうなるだろうか。他者の死から想像するしかないが、生きている限り、自分の死を経験できない以上、自分の死がどういうものかは本当のところは誰にもわからない。

他者が死んでもその人が不在になるだけなのだから、私がその中で生きた世界はおそらく私が死んでも存続するだろう。しかし、私は無になるかもしれない。あるいは、私が無になれば、世界も無になるかもしれない。確実なことは、人は誰もが例外なく必ず死ぬということだけである。

アメリカの催眠療法家であるミルトン・エリクソンがこんなことをいっている。

「私は、人は生まれたその日が死に始める日だと、心に留め置くべきだと思っています。少数の人は、死ぬことにそれほど多くの時間を費やさず人生を有効に生きているのに比べて、多くの人は死ぬことを長々と待っています」(『私の声はあなたとともに』)

生まれたその日が死に始める日だというのは確かにそうだ。しかし、これは人は死ぬために生きているということではない。人生は死ぬためではなく、生きるためのものである。人はいつか必ず死ぬけれども、死を「長々と」待つ必要はない。

「死ぬことにそれほど多くの時間を費やさない」というのは、死のことばかり考え、死を恐れたり、不安を感じたりしないということである。

死んだ後に生還した人はいないのだから、死が何かを知っている人は誰もいない。知らないのであれば、それが怖いものであるかどうかは自明ではない。死が善きものであるという可能性も、まったく排除されているわけではないのである。

とはいえ、理屈としては死が怖いとは限らないと考えても、「死ぬことにそれほど多くの時間を費やさない」とエリクソンがいっているのは、生きている時に死のことを「少しも」考えない人はいないからである。

人生においては、先のことを考えて待たなければならないことはあるが、死が確実なのであれば、死だけは待たなくてもよいのである。

 

漂白としての人生

人生が旅に喩えられることがある。たしかに人生と旅には似通ったところがある。一つには、どちらも目的地があるということである。しかし、先に見たように、死ぬために生きているのではないのだから、死は終着地ではあっても、目的地ではない。死ぬことを「目的」に生きる人はいないということである。

もう一つは、最後には死に行き着くとしても、目的地(人生の場合は、終着地)に到着することより、そこに至るまでの過程の方が重要であるということである。旅は家を出たところから始まる。目的地に着いて初めて旅が始まるわけではない。

しかも、その過程においても何が起こるかはわからない。人生は筋書きが決まっている芝居ではない。

このような何が起こるかわからない人生は、哲学者の三木清の言葉を借りるならば、まさに「未知のものへの漂泊」(『人生論ノート』)であるが、そのような漂泊も必ずしも怖いものとは限らない。

これから向かうところがどんなところかわかっていない時に抱く何ともいえない気分が漂泊の感情だが、旅においては、これから何が自分を待ち構えているかわからないからこそ、漂泊の感情を感じるのである。しかし、それが恐れや不安であるとは限らない。むしろ、未知なるものを前に高揚感を持つ人もいる。

生きる時に持つ感情も同じである。生きる過程で何が起こるかはわからない。しかし、予め旅の過程で何が起こるか、旅の目的地がどんなところかがすべてわかっていれば、そもそも旅に出る必要がないのと同様に、人生の過程で何が起こるかもすべてがわかっていないからこそ、不安や恐れを感じることがあっても、思いがけない出来事に遭遇しても、むしろ、そのことが人生の楽しみを増すことすらある。

死もどういうものかわからないというのは本当である。死についても、それがどういうものか知らないから怖いとは限らない。

ある日、私は診察の順番を待ちながら、死だけはまだ経験したことがないことに思い当たった。その時は死が怖いというよりは、経験していないことを怖いと決めつけなくてもいいのではないかと考えた。

 

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岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2019年5月号に掲載の情報です。

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