また何かに取り組むときも、「やらないといけない」と自分に言い聞かせ、義務で取り組む人がいます。僕は、これはしないようにしています。必ず、しんどくなるから。
それに極論、「しなくてもいい」と思っています。
自分にムリヤリにでも何かをさせることができるのは究極、自分自身以外にはいません。だから誰に何と言われようとも、「やらない」という選択肢はいつでも残されているのです。
それよりも大切なのは、自分は「やりたい」のか、「やりたくない」のか──
僕は社会問題と呼ばれるものに取り組み続けていますが、「やらないといけない」と思ってやっているわけではありません。自分が「やりたい」からやっているのです。
他の誰でもなく、「あくまで自分で選んだ道である」ということを、自分で潔く認めることが大切だと思うのです。
そういう意味でいうと、自分の仕事やパートナーのことも絶対に悪く言わないと固く心に決めています。
仕事もパートナーも、「選んだ」のはまぎれもなく自分自身。
それ以外にも、自分が今いる場所は、これまでの自分が行ってきた選択の結果。
それらを悪く言うことは、自分自身の選択を否定していることになると思うからです。それはあまりカッコいいことだとは思いません。
それに、自分が選んだと認めると、他にも良いことがあります。
生きていれば、良いときも良くないときもあります。良くないとき、自分で選んだと認められない人は、人のせいにしがちです。
それは結局、自分も周りもキズつけていきます。
だけど、自分で選んだと認めている人は、スッキリしていて立ち直るのも早い上、成長に繋げることができるのです。
「自分が選んだ道だから」「自分がやりたくてやっていることなのだから」というふうに。
問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。
もし「権利」がなければ、問題を知っても、取り組むことさえできないわけです。
これほどツラいこともないと思います。
だけど「権利」があるから、取り組むことができる。
何事にもできるだけ、「やらないといけない(人にやらされている)」ではなく、「やりたい(自分で選んだ)」で取り組む。
そう考えられると、とても素敵だと思います。
それは未来を自分が望む方向に近づけていい、ということですから。
好きに生きていい。
あなたにはその「自由」と「権利」がある。
人は「自由」と「権利」さえあれば、幸せになる力を持っています。
参考文献
「令和5年度 我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査」
https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/d0d674d3-
bf0a-4552-847c-e9af2c596d4e/3b48b9f7/20240620_policies_kodomo-research_02.pdf