NHKの連続テレビ小説『舞いあがれ!』の古書店店主役の好演が記憶に新しい、芸人の又吉直樹さん。最新作となるエッセイ集『月と散文』では、コロナ禍での孤独な生活や、自身のルーツや家族についても多く書かれています。
──エッセイ集の出版は10年ぶりになるんですね。
単発で書いたり連載で書いたりして、原稿自体はあったんです。
でも小説を書くようになって、その作業時間を作るために連載を止めたりっていうのもあって。
だからですかね、10年って聞いて、「あれ、そんなに出してなかったか」と自分でも驚きました。
──又吉さんのエッセイはとてもおもしろいのと同時に、独特だと感じました。
私はエッセイを一人称の私小説にかなり近いものだと思っているんです。
20歳くらいでエッセイを書き始めたときにイメージにあったのは、志賀直哉や太宰治の短編小説で、あれをエッセイだと思っていたんです。
例えば、我々がトーク番組で、身のまわりに起こったことをお話しするのをそのまま文字に起こしたものは、エッセイではないというか。
その出来事を体験した人間の中で起こっていることとか、そのときの感情など、現実に起こったこととは別に頭の中にあったこともまた、私にとって大切なんです。
でもそれを番組で語ったら、「早く先に進めてくれ、そんなんどうでもいいねん」って言われるじゃないですか(笑)。
──詩があったりカルタがあったり、書き方も自由ですね。
肩ひじ張らずに読みやすい、というのもエッセイの魅力だと思うんです。
でも私は「このエッセイはこういう書き方でいこう」とか、「こういうテーマだからあえて今までとは違う書き方で書いてみよう」とか、そういうのも含めての表現かな、と思っているんです。
だから、私の書くものをエッセイと言っていいのか......。
そのようなわけで、タイトルは「散文」という言い方をしているんです。
散文には小説も含まれますから。
たまに会えたときは家族に全力で向き合いたい
──『月と散文』では、ご実家についての話が印象的でした。ご家族と離れて上京されて20年以上経つわけですが、もっとこうしておけばよかったと思うことはありますか?
18歳で実家を出たことは後悔していませんが、もっと両親から話を聞く機会があれば良かったと考えることは多いです。
両親が体験した思い出はいろいろ聞きましたが、考え方を聞いたことがあまりないんです。
何かに迷ったとき、私は親の考え方を参考にしようとすることがあるので、そのサンプルがもっとあればとは思います。
──ようやくコロナ禍からかつての日々に戻りつつある今、ご実家との接し方も変わってきましたか?
家族に会う機会を増やすようにしています。
人に会うことを制限されていた時期が長かったので、帰省して家族に会えることさえ贅沢に感じますね。
その影響もあって、実家では我儘(わがまま)な自分を封印し、母の感覚を尊重するようになりました。
例えば、母とは室温の好みが全然合わないのですが、最近は母に合わせています。
母は空調を使わず、居間でもジャンパーを着ているのですが、私も実家ではそうするようになりました。
なぜか台所の小窓が常にあいていて、冷たい風が吹いていますが、それにも耐えています。
──実家との距離感で悩んでいる人もたくさんいると思います。又吉さんはご家族と接するときに、どんなことを心掛けていますか?
私は一緒に暮らしていないので、たまに会えたときは全力で家族に向き合いたいと思いますが、一緒に暮らしていたり近くに住んでいると、また距離感が違ったでしょうね。
私は家族のことを尊敬しているので、大人になってから口論になるようなことはないのですが、これも当然のことではなくて、恵まれているのでしょうね。
極端に近すぎる必要もないですし、最低限の敬意を持って接することが大切なのではないでしょうか。
取材・文/渡邊友美 撮影/三宅勝士 ヘアメイク/芳野史絵