1997年に1000万部のベストセラーを記録した『バッテリー』で野間児童文芸賞を受賞し、児童文学から時代小説まで幅広いジャンルで多くのヒット作を世に送り出してきたあさのあつこさん。最新作の『彼女が知らない隣人たち』では地方都市に住む平凡な主婦を描きます。
主人公に自分自身をより色濃く反映
――地方都市に住む平凡な主婦・咏子がある事件をきっかけに、家族や友人たちの"別の顔"を知っていく不安と焦燥を描いた新刊『彼女が知らない隣人たち』。日常的な出来事から難民問題や人種差別に及び、コロナ禍の"いま"が描写されていることにも興味を惹かれました。
書くきっかけは、かなり昔。
アフリカからの難民の男性が日本で難民認定をされなくて途方に暮れているという新聞記事を読んだことです。
難民という言葉は知っていても、自分の国とか、自分の身に関わりがあることとは思っていませんでした。
でも記事によって、恥ずかしながら日本にも難民と呼ばれる方たちがいると知った。
そのことが心にあったのですが、うまく形にならないと思っていたところに編集者から「難民に関わる話を書いてみないか?」というお話があって。
そこから取材に行って、資料を集めて。
それによって私が住んでいる町にも、難民ではないのですが、ベトナム人の実習生が住んでいて、ママ友がその人たちに日本語を教えていると知りました。
そうした中で、書けるものは? と考えたとき、難民の方ではなく、そこに無知なままに関わっていく人間しか書けないと思い至りました。
――主人公にご自分の思いを重ね合わせたのですか?
どの作品の主人公も、少なからず自分につながっています。
でも今回は、本当にかなり色濃く、主人公と重なる部分で、何を見たのか、何を聞いたのかということを一生懸命に追いかけて書きました。
――息子に抱く違和感もご自身が母親だからこそ?
母とか親であるとかではなく、私自身がいまだに子どもであると思っていて(笑)。
"子"として親を見たり、社会を見たりしていこうという思いが、ずっと途切れません。
10代の頃に抱いていた怒りとか焦りとか。
大人がポンと軽く投げつけたひと言、例えば「おまえ、ダメだなぁ」という言葉に対してどれだけ傷つくか、あるいは救われるかということが、すごく残っているのです。
ですから、逆に母親として子どもたちに接している感覚や母親の視線というものが、正直分からない。
そんな私に子どもたちは不平不満たらたら(笑)。
いろんなことを言われましたから。
焦りに苛まれても、書くことは止められない
――37歳でデビューするまで、焦りや葛藤はありましたか。
中学生の頃から物書きになりたくて。
若いって世間知らずだと言いますけど、世間を知らないことが力になることもある。
どこかで自分を信じていたのですが、だんだん世間を知るうちに、ダメかもしれない、夢は夢で終わるかもしれないと思うことは何度もありました。
結婚して子どもを育てる間に、自分より先にデビューした若い人たちが活躍しているのを見て、ものすごく焦って。
でも、諦めることはなかったです。
――何が原動力に?
志とか夢とか言葉にするときれいですが、もうちょっとドロドロした"固執"とか"執念"みたいなものがあったように思います。
私は外の世界にも他人に対してもまっすぐに向き合えない、明るく考えられない。
「ダメだな」とぶつけられたひと言を、軽く受け流せないままずっと傷として残してしまう。
そういう傷や痛みが癒えないままたまっていくと発酵するというか、メタンガスのようにボコボコと何かが湧いてくるでしょ。
いわばそれが原動力となって、外に出したいという欲求が常にあったのです。
私には書いて表現するより他にガス抜きの方法が思いつかなかった。
だからこそ、書くことに執着したのだと思います。
家族関係は薄くて(笑)みんな"我関せず"
――子育てと執筆の両立は?
年子の男の子と末娘がいましたから、もう大変でした。
長男が小学校に入学、末娘が保育園に入った頃にデビューして。
親の都合なんてぜんぜん関係ないですから、まったく言うこときかないし。
時には暴れる子どもを「動くな!」って両手両足で抑え込んだりして(笑)。
歯科医師の夫が経営する歯科医院の事務もしていましたから、猛烈に忙しかった。
思い出せば「すげぇなぁ」(爆笑)です。
いまやれと言われたらとんでもないけれど、未知のことはできるのです。
先のことは分からないけれど"とりあえずやる!"みたいな。
デビューしてからのことを言えば、仕事より家庭での人間関係の方が大変だったことはいっぱいあるのですが、「それも材料になるな」と思っているところもあって。
子どもとの関係も含めて、どこかで使えたらいいなと思ってます。
――ご主人の協力は?
お互いにぜんぜん関心がないみたいで(笑)。
歯科医だからなのか器用でゲラ(校正用紙)をファクスしてくれたり、荷物をきれいに梱包して出版社に送ってくれたりとか。
頼んだことはやってくれますが、それ以外は無関心。
子どもたちを含め、家族はみんな私の書いたものをまったく読んでいません。
最近、中学生の孫が模試かなにかの問題に「バァバの名前が載ってた」と言ってきて、その下の孫にも「図書館に本がいっぱいあるけど、バァバは何をしているの?」と聞かれました。
でも「読んだ?」と聞いたら「読んでない」って。
我が家はそんな感じですね。
――良好な距離感を保っていらっしゃる印象です。
関係が薄い(笑)。
昔からお互いに"我関せず"のようなところがあって。
コロナ感染にしても「私たちはどちらかが感染しても、濃厚接触者にはならないね」と。
田舎に住んでいるおかげで、家が大きいので密な空間がない。
さらに夫は歯科医を引退してから趣味に目覚めて乗馬や中国の楽器の二胡を習いに行っていますし、私は自室でずっと書いていますから。
朝食はそれぞれが勝手に作って食べて、夕飯ぐらいは作ってあげて。
となるとほとんど接触もないのです。
でも最近、夫を見ていてちょっと焦っています。
私は趣味がぜんぜんなくて、犬の散歩と庭にパンくずまいて鳥寄せが楽しみだなんて、情けないでしょ(笑)。
でも、ほかのことをやってもすぐに飽きてしまうし、書くこと以外、やりたいことがないんですよねぇ。
――これから先は?
いまの世界には、書くべきものが無数にある気がしています。
奇しくもこういう時代になって、人が人を差別するとか、人が人を踏みにじるといった事実が露骨に出ることもあれば、突然、地下から噴き出たりもしている。
生活者として生きるのはシンドイ時代に入ってしまったと思います。
また、その一方で作家としては"さぁ、書け!"と言わんばかりの多様な題材がたくさんあるすごい時代になってきたな、とも。
もちろん、先の見えないいま、"今日より明日の方が良くなるよ"みたいな希望の提示はできない。
明日の方が悪くなるかもしれないから。
でもさらに悪くなる日常にあって、それでも希望を語れるかというのが、大人として、あるいは書き手として試される時代ではないかと思っています。
"書く"しかないですね。
取材・文/鷲頭紀子 撮影/吉原朱美