今回は、新刊『我が家は前からソーシャル・ディスタンス』を2021年11月に上梓された漫談師の綾小路きみまろさんに、「老い」についてお話を伺いました。
――新刊『我が家は前からソーシャル・ディスタンス』が11月、発売されたばかりです。
2020年の春はコロナで全公演が延期か中止になりましたから、河口湖の家で、約20年ぶりに畑仕事を再開したんです。
そのときの思いをまとめた本なので、皆さんに少し元気になっていただけたら。
――20年前というと、自作の漫談を録音したカセットテープがきっかけで、ブレイクされた52歳の頃ですね。
テープをサービスエリアで観光バスのガイドさんに配ってね。
元電気屋さんの芸人の友達が、1回スイッチを入れると、10本ぐらい録れるように配線してくれて。
姪っ子と妻がいっぱいダビングしてくれました。
――この20年間で、客席などを通して感じる、女性の変化はありますか?
皆さんおしゃれになりましたよね。
中高年の奥さんたちは、旦那さんや子どもたちのために、ひたすらガマンして、いまの生活を守っている。
そんな世代だよね。
別れたい気持ちと別れたくない気持ちが半々で揺れながら。
そういう人たちが私の漫談を聞きに来てくださる。
だから、旦那さんの悪口を言うと拍手、奥さんの悪口を言うと、自分じゃなくて隣の奥さんのことだと拍手!
私の妻? "昔ラブラブ、いまデブデブ"。
これはネタだけど(笑)。
そういう相乗効果で、おかげさまで約20年、満席でやらせていただいて。
70歳になって、芸風も変わりましたよ。
昔は怖いもの知らずだったけど、いまは自虐ね。
お客さんじゃなくて、自分に向ける。
壁の力を借りてパンツをはくようになった話だとか(笑)。
年をとるって、こういうことなんだよねとお客さんと分かち合うような、ちょっとやわらかい感じになってきましたね。
芸人だって、お客さんだって、年をとるわけだから。
――若いお客さんも、増えているそうですね。
これまでのお客さんが娘や孫と来てくださったり、香取慎吾さんとお仕事するようになって、若い人たちがSNSでメッセージをくれたりね。
慎吾さんにお会いしたとき、私のブレイクが52歳と聞いて、「僕はあと30年ある。初心に帰ろう」と言ってくれたの。
本当にいい人。
舞台に来てくれて、「きみまろさんは二千人のお客様を前に1時間、たったひとりでやってる。僕にはできない」って。
そう言われて、自分のやってきたことを初めて客観的に見ることができたんです。
自分では、これが普通だと思っていたから。
若い頃から司会業をキャバレー、スナック、いろいろなところでやってきて。
神社仏閣のお祭りに呼ばれれば、村長さんが「皆さんご存じじゃないかもしれませんが、綾小路さんという面白い話をする人が来ています」って、ちり紙交換みたいな途中でジージー鳴るマイクで紹介されてね。
そういうのを乗り越えながらの潜伏期間が30年。
よくつらくなかったかと聞かれるけれど、好きなことだし、そういうものだと思っていたから、修業や苦労とは思っていないんです。
目標がありましたから。
30歳から、森進一さん、小林幸子さん、伍代夏子さんの専属司会者をして、気付けば50代。
伍代さんのショーでコーナーをもらって、そこから漫談が始まったわけです。
司会業を目指していたけど、私は鹿児島の人間だから言葉やイントネーションに自信がなくて。
東京生まれだったら、いまの芸は生まれてないなと思うと、不思議ですね。
年をとったら、自分を認めること
――20代の頃のビートたけしさんとの交流も、テレビ番組で語っておられました。
5年くらい前に「若い頃に出会ったあの人は、やっぱり綾小路さんだったんだ」ってたけしさんに言われて、本当に涙が出てきた。
「よかったね、売れたね」って。
売れたのが遅かったから、ジャングルでさまよって、私だけが最後に救出されたみたいな気持ちになったね。
たけしさんは、私の芸をいいなと思ってくれていたんです。
当時の私のネタを、会ったときに全部覚えていたからね。
私だって、忘れているのに。
たけしさんとまた話がしたいけど、スターだから、連絡とるのも申し訳なくて。
20代の頃は一緒の舞台に出ていて、歌舞伎町で、芸談議しましたから。
当時から、かっこよくてね。
私は田舎から来た里芋みたいだったけどさ(笑)。
思い出は遠くなるほど美しい。
写真を見ると、もう帰ってこないからね......本当に生きるって何なんだろうなっていつも思ってる。
終わりが来るのに、なんでこんなにがんばらなきゃいけないんだろうなって。
トロフィーをいくついただいても、人生の最後にはお返しする、この世にいる間の借り物。
だからこそ、いまを大事にしようと思うよね。
「年をとるほど楽しいのは、自分の時間ができるから。その時間をどう生きるかは、その人の知恵次第。70代を楽しむ秘訣は、知恵と工夫だよね」
――コロナ禍で、考え方が変わったりしましたか?
いろいろありましたよ。
忙しかったときとは、また違った生き方をしようと思いましたね。
漫談を作って芸を披露して、お客さんが集まって笑ってくださる。
それだけは確実にやっていくけれど、何歳までできるか......。
だから、日々いろいろ考えるんです。
70歳を過ぎたら、プライドを一つひとつ捨てていくんだなとか。
60代でやり残したことをやれるのが70代なんだなとか。
ということは、皆、やろうと思いながら、やっていないことが多いんだね。
あとは、もう70じゃなくて、まだ70。
いまさらって言葉もダメ、これは最近気付いたの。
だから、毎日できる運動を一つでいいからやる。
私はエアロバイクを1日40分。
腹筋の器具も買って、1日100回。
その記録をスマホのスケジュール表に書き込むのが楽しみなんです。
それは達成感ね。
体が動かせない人は、読書したり、生け花したり、大正琴したり。
新たに何かしてみようっていう気持ちが大事な気がするのね。
70代は下り坂。
下り坂って歩くの難しいよね。
だから、どう楽しむかが醍醐味なんだと思います。
本当の楽しみは70歳からと言う人が多いけど、私もそう思う。
自分の時間が持てるから、昔好きだったことをもう1回やってみようと思えるでしょ。
そして、やっぱり自分を認めることだよね。
歩くのが遅くなるなんて当たり前。
女子高生に追い抜かれると淋しいけど、自分もそういう時代があったんだな、あの人もそのうち私みたいになるんだなって後ろからベロ出していればいい(笑)。
こういうことを日々、メモしながら、血圧を測るんだけど、高いときがあるわけ。
そういうときは、納得がいく数値が出るまで何度も測る(笑)。
心拍数は、私は少ない方なの、53とか。
それが145とか出ると機械が壊れてるんじゃないかなって。
嫌だねぇ。
そうやって毎日生きてるのよ。
ステージの前なんて200ぐらいあるんじゃない?
かっかしてるもん、かつらの中が(笑)。
私は会社に勤めたことなんてないし、ひとりでコツコツ何でもやってきて、だから世に出るのが遅かった。
弟子になろうとも思わなかったし。
とにかく一生懸命やってきたことが全部揃ったときに、スペースシャトルが発射するようにシュッと舞い上がった。
それが52歳。
だから、うまくいかない時期も、無駄ではなかったなと思います。
取材・文/多賀谷浩子 撮影/下林彩子