半世紀以上もソロダンス活動を続ける世界的なダンサーであり、『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)で映画初出演を果たしてからは映像作品への出演も活発な田中泯さん。犬童一心監督のドキュメンタリー『名付けようのない踊り』では、子ども時代から現在までの"田中泯"にフォーカスされています。今回は、そんな田中泯さんにお話を伺いました。
体は、何歳になっても動きたがっています。僕のカラダは、まさに良い例です。
――本作を撮るきっかけは?
以前は、踊りは映像では撮れないと思っていました。
踊りは体がいま生きていること自体が伝わるべき表現。
踊ったときの感覚や印象、状況、人々との間に流れる空気感。
たとえ映像に残しても、違ったものになってしまう。
ところが『たそがれ清兵衛』には踊りそのものが映っているように見えて、とても驚きました。
――犬童監督とは長いおつきあいですね。
僕の踊りを本当によく見に来てくれて、たくさんお話をして、撮りたいとおっしゃってくださった。
ポルトガルのアートフェスティバルに出演するときに、まずは短編を作っていただきました。
とても面白く出来上がりました。
巧みな編集のおかげで、あの日にやりたかったことも、感覚も蘇ってきましたから。
―― 長編=本作の感想は?
20代後半から"踊りを見つける旅"に出て、どんどん独りの方向に進んでいる。
それはいまも続けていることなので、映画はその一部分。
見た方には、現時点の「田中の生活」、僕がどういう暮らしをし、何を見ているかが分かっていただけると思います。
僕自身は、自分がより発展し、大きな変化をもたらしていくための準備ができたという意味で、この出会いはラッキーでした。
みなさん孤独が嫌いでしょ? でも、僕は大好きなんです
――今後やりたいことは?
いくらでもあります。
"運がいいから"という言い方で自分の歴史を語ってしまいますが、正直に言えば、そんな簡単ではなかったし、悔しい思いもさんざんしてきました。
でも、それは誰もが同じ。
うまくいかないでいる人と僕との違いは、おそらくみなさん孤独が嫌いでしょ?
僕は孤独が大好き。
独りになって、とことん考えるのが好き。
そこからです。
みんな孤独です。
孤独だからこそお互いに目を凝らし、考え、新しいことや小さな違いを発見しあえる。
まさにこの雑誌のタイトル通り「毎日が発見」なんです。
――コロナ禍の生活に孤独を感じ、心も体も縮こまっていると感じますが?
心が閉じこもるときに、体は閉じこもりたくないんです。
気持ちがそうなっているから、無理やりその気分に隷属させているようなもの。
体は幾つになっても動きたいんです。
70代の僕がそうです。
相当動いても体は「まだ、まだ」と言っています。
体は、細胞は、私たちよりも速いスピードで生きてくれています。
僕らはそんな体に乗っかって生きているだけです。
踊りというのは、"体の声"です
――「農業で作った体で踊る」を実践していますが?
始めたのは40歳の頃から。
僕には植物に対する尊敬というのがあります。
ずっと昔、植物しか存在しない世界がありました。
その頃の植物は生殖、いわゆる子孫を残す方法を考えていたでしょう。
ですから、もしも昆虫が生まれなかったら植物が移動するようになっていたかもしれないし、飛んでいたかもしれない。
想像すると、すごいと思いません?
――本作にあるエクササイズ『頭上の樹』に納得です。
自分が樹になったつもりで、つま先から髪の毛の先まで神経を行き渡らせる。
体の声にちゃんと耳をすますことが大事です。
僕にとっては、踊りは体の声です。
踊りというのは、自分が体と何をしてきたのか? と考え直してもらう意味では、とてもいい表現です。
それから人々が自然に持っている感情と、一緒になって喜んだり悲しんだりすることができるのも踊りです。
だから僕は親しい人が亡くなると、踊りに行きます。
たくさん体に泣いてもらうために。
そういう意味でも、踊りというのは、とても大切なメディア(情報伝達の媒介手段)だと思いますね。
取材・文/金子裕子 撮影/齋藤ジン ヘアメイク/横山雷志郎(Yolken) スタイリスト/九(Yolken)