映画『梅切らぬバカ』で50歳になった自閉症の息子"忠さん"と暮らす母親を演じた加賀まりこさん。作品を通して、演じることへの向き合い方の変化をうかがいました。
過ぎたことには未練も執着もない
――写真撮影のポージングがすてきでした。お若い頃から意識が変わらないのでは?
顔はおばあちゃんだけどね(笑)。
貫禄のある女性がすてきなのは分かるけど、自分がそうなれないのは分かるから。
――加賀さんは人気絶頂の20歳で、女優の仕事を全部辞めて、パリに行かれましたよね?
1964年のカンヌ映画祭に『乾いた花』という映画で参加して、そのままパリで暮らしました。
その時の試写に(世界的な映画監督の)ゴダールとポランスキーとトリュフォーが来てくれたの。
その後、ホテルの部屋にゴダールからテディベアが届いて。
よっぽど子どもだと思われたのね。
がっかりしちゃった(笑)。
でもトリュフォーが家に呼んでくれたり、ゴダールからは『中国女』をやらないかって言われたんだけど......断っちゃった。
――世界中に知られる映画である『中国女』は加賀さんが主演だったかもしれない?
そう。
当時は、それがどれだけスゴイことか、分かってないし、そもそも仕事から逃げてパリに来たわけで。
女優にやり甲斐を見つけるのは、もっと後。
東京に帰って、『オンディーヌ』っていう舞台をやって、初日が開いて初めて「わ、これヤバイかも」って。
それまでの私は被写体で、女優ではないって自覚していたから。
『オンディーヌ』は日生劇場始まって以来のロングランで、毎日まつげが取れるぐらい涙を流していたのに、そのうち涙が出ない日も出てくるのね。
その時、ふと悲しいせりふをほほ笑みながら言ってみたら、客席に白いものが舞っているの。
皆、泣いているのね。
毎日の舞台で、そういうことを学んでいって。
その後、久しぶりに松竹の映画に出たら、音声さんが「声がちゃんと出るようになった。一人前になったね」って。
『オンディーヌ』は劇団四季の舞台で、四季の研究生として2年間レッスンさせてもらったんです。
だから、そう言われてうれしかったですね。
もともと自分の高い声が嫌いで、低い声をきちんと出せるようにしたかったので、『梅切らぬバカ』も、自分の場面は本当に下手っぴだわと思うけど、映画の私の声は好きなんです。
――出演を決められたのは?
初めてプロの俳優と映画を撮る30代の監督が、こんなに地に足の着いた作品を書くなんてすてきだなと思って。
――占い師役も面白かったです。
占いに影響を受けるって、私はよく分からないのね(笑)。
先のことなんて分からないわよ、誰もね。
その時、それでいいと思って決めたのなら、それでいいじゃない?って思っちゃうタイプだから。
欲があまりないのかも。
女優の仕事にも、いまだに欲とかないし。
蜷川(幸雄)さんにも言われたわね。
執着がないから、あとひとひねりが足りないって(笑)。
もちろん撮影後に、足りなかったなと思うことはあるけれど、撮り直せるものじゃないし。
終わっちゃったものはしょうがない。
本当にそうでしょう、何事も。
だけど、この映画の「忠さんがいてくれて、母ちゃん幸せだよ」っていうせりふは、撮影した後、夢に出てきたの。
"生まれてきてくれて、ありがとう"という思いを映画全体にちりばめてほしいっていう思いが溢れて、監督にお話ししたら入れてくださったせりふです。
私のパートナーの息子も自閉症で、本当に息子にありがとうだねって、いつも彼と話しているんです。
もっと他の言い方ができたかなって撮影した後に思って。
そんなこと珍しいんだけど、それだけ大切なせりふだったんだなと思います。
取材・文/多賀谷浩子 撮影/齋藤ジン ヘアメイク/野村博史 福島久美子