「家庭のことより、いじめられた方が大変でした」作家・桐野夏生さんの"理不尽な非難"との戦い

今春、新刊『インドラネット』を上梓された作家の桐野夏生さん。同作品の執筆にまつわる秘話や40歳を過ぎてデビューをされた当時のお話、コロナ禍での生活について伺いました。

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家庭のことよりも、40過ぎてのデビュー後、あれこれ言われて打ちのめされました。

五里霧中の中
手探りで書き上げた

――何をやってもうまくいかない卑屈な主人公・八目が、唯一の誇りである親友・空知の行方を追ってカンボジアに渡ったことで、思いもよらない混沌へと足を踏み入れていく新刊『インドラネット』。衝撃的なラストでしたが、最初からストーリーは決めていたのですか?

最初は何も決まっておらず、こんなに五里霧中で小説を書いたのは初めてです。

迷いながら書いていたので、ラストを決めたのは、連載が終わる4~5回前ぐらいでした。

途中で横道にそれる話もあって、普段はあまり原稿を削ることはしないのですが、60枚ぐらいは削りました。

――登場人物のほとんどがダメな人や小ずるい人ばかりというのが面白いですね。

特に主人公の八目ですね。

あんなダメダメな男を書いたのは本当に初めてかもしれません。

私は、魂の小さい人間を書くのは得意なんですけどね。

今回は本当に主人公像がつかめなくて、主人公の八目も私も、なかなか前へ進めませんでした( 笑)。

――カンボジアの湿度や気温、匂いなど描写がとてもリアルでした。

最初は舞台をどこにするかも決めてなかったんです。

「ベトナムあたりにしましょうか」ぐらいで。

(カンボジアの)アンコールワットにも行ったことがなかったので、ベトナムのホーチミンに2泊、カンボジアのシェムリアップに1泊し取材しました。

ベトナムでは次から次へと取材相手に会ったものですから、観光する暇もなかったんですけどね。

でも1泊ぐらいでも何となく空気とか湿度とか埃っぽさとか、人の感じなんかは分かるじゃないですか。

それに、いまはネットに動画など情報がたくさんありますから助けられました。

資料もたくさん集めました。

それを床に置いたらおしまいだって分かってるけど置くしかなく、足の踏み場に困りました。

――カンボジアはどんな印象をもたれましたか?

急速な発展で、大事なものを素っ飛ばしてきたようなダークさがある。

そういう感じが良かったです。

近代化に人の心が追い付いていないのかもしれません。

出版社で取ってくれたホテルの、幾部屋もあるような豪華な部屋に泊まったんですが、寝ていると隣のリビングに人が出入りしてる気配がするんです。

休み時間に涼んでるというか...。

お手洗いを使った跡があったり。

でも、きっと悪気は全然ないんです。

本の中でも書きましたが、洗濯機がある人はクリーニング屋さんをやっていて、庭に大量の洗濯物が干してある。

シーツみたいに大きなものは、裏の川ですすいで干してるだけのようにも見えました。

川も汚いかもしれないのに、そんなの平気。

そういうところがアジア的で面白かったです。

理不尽な非難と闘い続けてきた

―― 斬新なテーマの大作を次々と発表されていますが、情報などのインプットはどうしているのですか?

どうしてるんでしょう。

自分でも分からないです。

特にこの『インドラネット』に関しては何も分からなくて、誘われるままに、「じゃ、どっか行きましょう」みたいな感じで引きずられて行ったというか。

他の作品は、例えば「生殖医療をやろう」といった端緒はあるんですけど、そこからストーリーはなかなか思いつかないですね。

「何かちょっと人より見栄を張る人を書こうか」とかね。

最初はその程度の小さな穴が開いて、そこから広がり、作り上げていくという感じですね。

――子育てをしながらの作家活動は、大変だったのでは?

集中したいけどご飯を作らなきゃいけないとかね。

いまでも一緒に暮らしているのでそれは同じです。

つらいときもありますけど、逆に娘からヒントをもらうことも結構あります。

「へー、いまの30代の女の人はこういうことを思ってるんだ」とかね。

家庭のことより、いじめられた方が大変でした。

40過ぎてデビューして、ミステリー界であれこれ言われてはじめは打ちのめされました。

私に限らず、女性作家って必ずやられる歴史がある。

いまは時代が変わってそういうことはなくなりましたけど、当時は小説に匿名で悪口書かれたりしたんですよ。

みんなは「そんなの放っておきなさいよ」って言うんだけど、真剣に怒って抗議していました。

だってちゃんと批判してくれるならいいのですが、揚げ足取りみたいな記事がすごく多くて許せなかった。

「こんなアンフェアなものを載せるのか」って、出版社に抗議してたらあいつはうるさいヤツだって嫌われました(笑)。

当時は相当嫌われてたんじゃないかな。

いまでもかしら(笑)。

でも許せないじゃないですか、完全な中傷なんだから。

私は活字の世界のフェアネスを信じていたから、こんなふうに人を中傷するようなものを堂々と載せるのはおかしいと思って出版社と喧嘩して...。

乗り込めばまた何か言われたり。

それでも私はそれについて抗議して書いていくということでやってきました。

時にはせっかく雑誌が私のためにページを空けてくれても、そんなことばかり書いているからもうページを提供するのは嫌だと言われたり。

それでも書く場所を探して、何年も闘ったように思います。

いまの時代、大勢がSNSを使うようになって誰でも匿名で人を批判できるようになりましたよね。

あれはずっと残るし、とてもよくないと思います。

もしそんな中でターゲットにされたら、声をあげていくことが大切です。

ジャーナリストの伊藤詩織さんもSNSでいろいろと訴えているじゃないですか。

すごく大事なことだと思います。

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匿名のアンフェアな中傷は絶対に許せない。
嫌われても闘い続けてきました。

コロナ禍では家飲みで韓流ドラマ

――今年、ペンクラブ初の女性会長に就任されました。

ペンクラブもジェンダー的な視点が必要だという意識を持っています。

とはいえ伝統がある組織なので、すぐには変わらない。

ペンクラブのイメージが変わるだけの存在と言われることもありますが、それはそれでかまいませんが、差別とはずっと闘っていきたいです。

――コロナ禍で生活は変わりましたか?

変わりましたね。

どこにも行かないし、やはりすごくドメスティックになりました。

私はもう2回ワクチンを打ちましたが、かといって、どこかに出かけることもしない。

家飲みしながら韓流ドラマばかり見てますよ。

去年のいま頃、野良猫に手を引っかかれたところから菌が入ってしまい、腕まで腫れたんです。

心臓までいきそうだったら、腕を切断するって言われたので、怖々入院したんです。

3日間抗生剤を入れて、結局治ったんですが、その間、ずっと韓流ドラマを見てました。

病室にWi-Fi(ワイファイ)がなかったし、ポケットWi-Fiを用意する時間もなくて13ギガもデータを買いました。

最近は、ベッドでも見られるようにタブレットまで買いました。

時々持ったまま寝ちゃうと、顔に落ちてきて危ないです( 笑)。

文/山城文子 撮影/吉原朱美

 

作家
桐野夏生(きりの・なつお)さん

1951年生まれ。98年『OUT』で日本推理作家協会賞受賞。99年『柔らかな頰』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、04年『残虐記』で柴田錬三郎賞、08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、11年『ナニカアル』で読売文学賞等、受賞歴・著書多数。5月に日本ペンクラブ会長に就任。

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『インドラネット』

(桐野夏生/KADOKAWA)

1,980円(税込)

平凡な顔、運動神経は鈍く、勉強も得意ではない。取り柄のないことにコンプレックスを抱いてきた八目晃は無為な生活を送っていた。唯一の誇りは高校の同級生だった、カリスマ的魅力をもつ野々宮空知と、美しい彼の姉妹と親しかったこと。だが、その後空知は晃に何も告げずカンボジアで消息を絶った。晃は空知を追い、東南アジアの混沌に飛び込むが、そこで待ち受けていたのは3きょうだいの壮絶な過去だった…。

この記事は『毎日が発見』2021年10月号に掲載の情報です。

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