父・進示さんの壮絶な被爆体験を聞き取りをして書籍化した「8時15分ヒロシマで生きぬいて許す心」(日本版タイトル)を原作に、ご自身がエグゼクティブ・プロデューサーを務め映画化した『8時15分ヒロシマ 父から娘へ』がこの夏、全国ロードショーとなる臨床心理医の美甘章子(みかも・あきこ)さん。本作品への思いを伺いました。
父親の被爆体験を4日間で書き上げた
――広島に投下された原子爆弾を至近距離で被爆した父・進示さんの壮絶な体験を娘である美甘章子さんが聞き取りをして書籍化した「8時15分ヒロシマで生きぬいて許す心」(日本版タイトル)。そして、同書を原作に、ご自身がエグゼクティブ・プロデューサーを務め映画化した『8時15分ヒロシマ 父から娘へ』がこの夏、全国ロードショーになります。
10歳ぐらいから、いつか父の被爆体験を本にしたいと考えていました。
現在はアメリカのサンディエゴ在住ですが、もともとは広島で生まれ育ちましたから、子どもの頃は被爆された方がまわりにたくさんいらっしゃいました。
そのような環境でも、爆心地の至近距離で被爆をしてなお生き残っているという人はほとんどいらっしゃらなかった。
子ども心にも父の体験に特別なものを感じていたんです。
ところが大人といわれる年齢になってみると、多くの人に伝わるものを書くにはもっと人生経験を積まないと無理だろうと感じ、80歳ぐらいになったら書こうと考えるようになりました。
――最初にアメリカで出版されたのが2013年。ずいぶん早まりましたね。
コンサルティングを学ぶためにフランスのビジネススクールに行っていたときのことです。
プレゼンで父の被爆体験に触れる機会があったのですが、ふと気付くと私の話を聞いてクラスの大多数が涙を流していたのです。
終わるやいなや「こんなにインパクトのある話は聞いたことがない。他の人にもシェアしたいから本を書いてくれ」と口々に言われました。
そこはエグゼクティブ修士号のクラスだったので27カ国から40~60代の人生経験豊富な方々が集まっていました。
そういう方に言っていただけるのなら書いてみようと、80歳を待たずして本を書くことにしたんです。
私は普段、臨床心理医をしているのですが、仕事も他のこともまっさらにして4日間ほとんど寝ずに、180ページの原稿を一気に書き上げました。
その後、事実関係を調べたり、父にも何十回と聞き取りを行って、最終的に3年間かけて本を完成させました。
――決めたらとことんやるのは性分なんでしょうか?
やるときはやる、やらないときは全然やらない子だったので、小さいときからムラがあるとよく言われていました。
特に理由が分からずコツコツやることができない困った性格なんです(笑)。
ただ、自分の中で何かインスピレーションが湧くと、脇目もふらずにできてしまうんですね。
ですから、本の執筆に関しても一度書くと決めてからは迷うことはありませんでした。
父の目から流れた一筋の涙
――畑違いの映画製作を決意されたのには、どんなインスピレーションが?
アメリカで本を出してすぐハリウッドのプロデューサーから「映画にしよう」と言っていただいたのですが、ハリウッドとなると規模が桁違いですから、そう簡単に進むものではないのですね。
ただ2020年8月の被爆75周年平和記念式典のタイミングでは何か平和に貢献できることをしたいと考えていました。
自分でできることはないかと考えたときに、本をもとにドキュメンタリー映画が作れないかと考えたのです。
というのも、本のメッセージをこれからの時代を担う、若い世代の方々に伝えたいという想いを強く持っていました。
ところがいまの若い方々は一冊の本をじっくり読む習慣があまりないですよね。
だったらビジュアル的なもので伝えたいと考えたのです。
それを思いついたのが2019年の暮れで、あまり時間がなかったものですから、最初は父へのインタビュー映像や昔の資料写真などを使った17分ぐらいのドキュメンタリーを考えていました。
ところがアメリカの30代の若い人たちにその話をしたら「被爆者のインタビューなら他にもたくさんある。せっかくあなたが作るならもっとインパクトのあるものを作りましょう」と言われて、結果的に父・進示役の俳優のモノローグや被爆時の再現ドラマなども入れた51分の中編になりました。
決まってからは急ピッチでしたね。
2020年2月末になんとか撮り終わったのですが、そのすぐ後にロックダウンになってしまったので、少しでも遅れていたら無理だったでしょうね。
私は宇宙が味方なんじゃないかしらと思っているのですが、他にも奇跡のようなことが次々と起こり、20年の夏前には完成させることができました。
父はすでに体が弱っていたので劇場には来れませんでしたが、病院のベッドの上で映画を観てもらいました。
父の父、私にとっては祖父が「進示、しっかりせい。頑張れ、わしの言葉を忘れるな」と励ますシーンでは、言葉はありませんでしたが父の涙が一筋、スーッと流れました。
「映画『8時15分 ヒロシマ 父から娘へ』は、編集などを通して何十回も観ているのに、劇場で観て映像や音響の迫力に自分でも驚きました。ぜひ劇場で観てほしいですね」
人類に貢献したい思いに突き動かされて
――当時の壮絶さとそれでも生き抜こうと諦めない強さが伝わって圧倒されました。それと同時に、進示さんの「許す心」のエピソードに心が震えました。「許す心」は本作のテーマでもありますね。
父にとって被爆体験は思い出すのもつらい出来事だったと思いますが、それでもアメリカを恨んでいないと言っていました。
そうではなく、戦争が悪いんだと。
立場が違う者同士が手を取り合えない人間の弱さから戦争が起こったのだから、文化や信条の異なる人たちが手を取り合えるかけ橋になりなさい、そのために英語をしっかり学びなさいと小さい頃からずっと言われて育ちました。
――進示さんは映画の完成後の2020年10月に94歳で永眠されましたが、アメリカで臨床心理医をされている章子さんの中にお父様の教えが生き続けていますね。
私には13歳上の姉がいるのですが、障害があるんですね。
当時はまだまだ障害者に対する支援も十分ではなく差別的な目で見られることも少なくありませんでした。
さらに両親が被爆者ということで、いろいろ感じていたんでしょうね。
自然と人間の心に関わる仕事をしたいと思うようになりました。
大学では英語教育学を専攻しました。
当時の日本では臨床として実践するための勉強や、職業として心理学を生かす機会があまりありませんでした。
それでアメリカの地を踏むことになったのですが、父の言葉がどこかにあったのは確かだと思います。
本の執筆にせよ映画の製作にせよ、私を突き動かしているのは大袈裟な言い方をすると「人類に貢献したい」という思いなんです。
そこには父から受け継いだ平和への願いももちろん込められていますし、これからもその思いをつないでいきたいと思っています。
――お忙しい日々だと思いますが、美甘さんの息抜きや趣味は何ですか?
スノーボードです。
スキーの経験もない私が40代になっていきなりスノボを始めました。
最初はたくさんの血と汗と涙を流しましたけど、上達してからはすっかりはまってしまって(笑)。
コロナが落ち着いたらスノボに行って思い切り滑りたいですね。
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取材・文/鷲頭紀子 撮影/美甘アンドリュー丈示 イラスト/小川温子